Zephyr Cradle Diary


2008.10.28 (Tue)

[雑記] 切り売り、切り置き

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他にもTwitterとかDeliciousとか、今までだったら個人サイトのひとつのコンテンツを構成していた部分を、そのコンテンツごとに集約したサービスが今結構流行っているじゃないですか。

たぶん便利なんですよ。というか、Twitterは僕もたまに使ってますし。

ただ、まったくの個人的な印象としては、そういう用途ごとに集約された場というのは、その集まったコンテンツがただ消費されていくような気がして、すごくヤだ。

あまり適当な例えが思いつかないんだけど、自分で買ったCDとレンタルCDとの違いみたいなもんかなぁ・・・。

なんか、なんでも使い捨て感覚みたいな印象を受けるんですよ。

この後に「結局は使い手次第」という言葉があってまさにその通りだとは思うんですが、しかしながら↑のように「使い捨て感覚」みたいな印象は全くないなあ。言わんとしていることは判るんですわ。自分の身体の一部を余所の場所に一時的に置いてるみたいな。でもっと良い場所が出来たらそっちに移して、みたいな。そんな感じ。確かに、そう言ってしまえばそうなんだとは思う。

けど、そういったオンライン系ツールの本義は、違うと思う。みんなが同じコンテンツをある一カ所に置いておくことによって双方向性を高めることができる、そこにこそ意味があるんだと思う。

ここで重要なのは双方向性であって、一方通行であってはならないこと。我々が「ホームページ」と呼んでいる場所を本拠地として、自分のある一部のコンテンツを余所に仮置きすることによって、本拠地に呼び込むためだと思う。うちはこんなことに興味があるんですよ、続きはホームページでね! みたいな。あるいはその逆でも良い。うちのホームページでこれが気に入ったなら、ここから他の同好の士にも会えますよ! 的な。そういったコミュニケーション的な意義にこそ注目すべきなんだと思う。

でもコンテンツは消費しても、減らない。残り続ける。その残り続けているコンテンツにいかにアクセスしやすく、またそこから自分の本拠地にどう呼び込みやすいかを考慮した結果、そこに行き着くのは別に良いことなのではないかなあ。

閑話休題。だのだののツールからちょっと離れてた。

そういったコミュニケーションツールも、結局は自分ちと余所んちの垣根を低くしてお隣さんとの距離を縮め、そこから新たな発見と交流を生むためには実に有意義なツールであると、うちは思うなあ。意識次第なんですがね、ホント。

更に脱線すると、そういった意味でうちはや 、 をそこまで有意義なツールであると見なしていない。会員でなければ閲覧できないというツールは、結局のところ閉鎖空間。内輪ネタ以上にはなりえないです。別に価値がないというわけではなく、これらの存在は実に素敵なモノと思ってます。でもなあ、っていうただそれだけの話です。

また一人で長文だ。