Zephyr Cradle Diary


2008.10.07 (Tue)

[雑記] 無題

音楽やることにそういう意義を見いだすことはないけど、少なくとも を催したりこうして日記を書いたりにブックマークまとめたりすることには、そういう先を見据えた意義を多少なりとも感じていたりはする。

我が家は両親がまだ生きている上に実家暮らしだから大したことは言えないし感じても居ないのだけど、そういう些細な発言ひとつででも、例えばうちの日記を読んだ誰かが何かを感じて、何か思い立った行動に出れるようなことになったなら、それは嬉しいなって思う。ちょっと曖昧すぎるか。

世界の何処にでも、それは自分の目と鼻の先に、生きる意味だったり原動力だったり、そんな大層なものでなくとも、楽しみだったりのヒントっていうのは、何処にでも転がってるものだと思う。我々が「認識」していないだけで。書物の中だったり、ゲームの中だったり、道ばただったり、インターネット空間だったりさ。下手な鉄砲〜じゃないけど、うちがこうして「何か」を発信し続けている限り、それを受信する人もいて、そこからヒントの何かになってくれれば、それで良いかなって思うのさ。愛読書の一つである「アルケミスト」(パウロ・コエーリョ作)なんかの受け売りではあるのだけどさ。

誰かのヒントになるか判らないから、色んな形で表現し続けるしかなくて。うちが日記を書いたり物書きし続けたりする意味の一つに、そんなものが占めてるのは間違いないように思ってる。 Celestia もそう。今では需要が薄くなってきているかもしれないけれど、やっぱり、我々が数年間この界隈に居て見て、聴いて、感じてきたモノを、吸収しっぱなしで棺桶まで持って行くには、少々荷が重いって思うわけ。荷が重いっていうかなんだろう、こんな素敵な記憶と経験を自分だけの秘密にしておくのは勿体ないっていうのかなあ。だから誰かの目に見えるところに「表現物」をオープンにして置いておかなきゃ、っていう強迫観念には結構駆られたりするんだよね。

無理矢理こじつけるとこうかな。うちは今を楽しみたい。楽しんだらその体験をみんなにもしてもらいたい。だから、それに触れることが出来るような機会を持ってもらいたくて色んな表現方法で発信していく。そしてまた新しいものを得たいから、他の何かを受信する。知識も常に、世に還元していかなければなって思うかなあ。

その表現方法ってのに答えはないと思う。別に SE として活躍してその会社をでかくして行くことも還元だし、小説を世に送り出して多くの人を感動の嵐に包み込むことも還元だし。ジャンル、ベクトルが違うだけで、やりたいことの根っこはおんなじなんじゃないかなあ? あとはどれが好きでどれが嫌いかっていう、個人差とか趣味・嗜好の問題なだけでさ。

とは言っても結局のところ、こんなことを意識しながら行動するケースは稀だし。というか普段からそんなこと考えてるのは政治家くらいで良いし。でもせめて、意識できる部分くらいは意識して、全力全開で発信して行こうじゃないの、って思うのよね。政治ダメじゃん教育ダメじゃんとか唱える時間があったら一言でも多く、一音でも多くの想いを Output して、世の中良い感じに変えて行けたらなあって、少なくとも今はそんな風に考えてる。

考えが老化しすぎかね? でも自分のものつくり活動に無理矢理理由を付けるなら、こんなとこじゃないかなあって思うんよね。