Zephyr Cradle Diary


2008.02.23 (Sat)

All for one, one for all.

[音楽] 音楽の理由

友人らのライブを見に行ってきました。何かの企業のイベントではないライブに行くのは、実は初めてかも。とても良かったです。音楽しかり、そのライブ全体しかり。久々に味わいました、もはや「良かった」としか言いようのない感覚。終わった後、バンドに出た友人らに上手く感想を伝えようと思っても、自分の口をついて出てくる言葉は「良かった」のみ。まったくもって物書き失格。でもそんなもんかな、って思う。

ライブ全体で一体になって騒いで、それで彼らが歌って。彼らがどうしてライブをやろうかと思ったのかと思ってしまうのですが、自分勝手な想像だけど、あの姿を見ていると、「ライブをやりたいから、ライブをやる」という、実にシンプルな答えしか見つからなかった。目的も手段も、イコール。というかきっと、手段なんて言葉はそこにはないんだな、と思う。

自分が何か曲を作るときは、どうしても「どういうコンセプトで作るか」から入ってしまいがちなんですが、あの姿を見ていると、そんなことに固執していた自分がちっぽけな存在に思えてくる。まずそこにあるのは「音楽をしたい」って思いであり、それが全てで。他の要素は付加的なもので、コンセプトなんてなくて、ただたまたま「そういう思いからわき出た」結果が何かしらの曲という形を取ったというだけで。何か、その無垢さにやられました。

と書くと、いつもコンセプト(お題)ありきの を真っ向から否定するようでアレなんですがね、全くもってそういうつもりはなく。

なんだろう、 Celestia はそういう「情熱を引き出す切っ掛け」にさえなってくれれば、それで良いと思ってます。曲を作りたい。でも作った後どうしよう。ああ、そういえば Celestia があった! って感じになってくれれば、もうそれで Celestia の役目は果たされたというか。足かけ程度で良くて、そこにあるだけで良くて。主催である自分自身にとっても情熱の維持とか湧きどころとかになっているのだし、だからやめるわけにはいかなくて……というのは大きな余談。

ともあれ、自分は普段から物事を何でも客観的に見てしまう傾向があるんですが、あのライブには主観しかなかった。打算とか妥協とかそんなのもなかった。ただただ、「楽しみたい!」って思いしかなかった。それが今の自分にはたまらなく苦しくて、でもとても輝いていたように思う。

ああいう空間を作れる人間になれればいいなあ。