Zephyr Cradle Diary


2026.07.29 (Wed)

[音楽] 追憶

2011年3月。本来であれば自分は大阪のホールでFFTの曲を演奏していたはずだったのだが、東日本を襲った震災でその予定は立ち消えとなった。フルオーケストラで演奏される楽譜を拙いながらも自らこしらえて挑む星の調べ(ほしらべ)の第3回演奏会が未遂になったのは、本当にいまの自分の始まりだったと思う。

その後、自分はFF8を演奏するガーデンオーケストラ(庭オケ)に譜面を提供しつつ自らも奏者として参加し、自作譜面の初演を迎えられたのは2013年5月のこと。この頃はワンタイトルでのオーケストラ演奏会はまだまだ黎明期だったが、ホールに来た人たちを何百人とお帰りいただくことになってしまうほどの盛況だった(この頃はチケット制でもなく全席自由だった)。

その盛況ぶりに手応えを感じたんだったかなんだったか記憶の彼方だが、その頃に「やっぱりほしらべのFFTをやりたい」という想いが高まっていた。ほしらべの団長である蘭星さんと話を付けたが、蘭星さんは多忙かつ自らが演奏参加しないオケ運営はできないという想いから、ほしらべから譜面を借りつつもほしらべとは別団体の楽団を立ち上げることに。それがテンプルナイツ交響楽団(Tオケ)の始まり。

最初にFFTやりたいを強くアピールしていたのはまつさんだったと思うのだけど、それに同調して運営を買って出たのが4人。まつさん、はまやん、大臣、そしておーすけさん。ほしらべでもそうだったけど、おーすけさんという指揮者が常任指揮ではなくて「団員の1人」というのは、アマオケ界隈では比較的珍しい部類だったのではないだろうか。楽団長もおーすけさんに決まった。

自分は記憶力が良い方ではないので、当時の細かな記憶はほとんど消えてしまっているが、強く覚えていることと言えば、本業でシステムエンジニアをしている自分がプロジェクト管理(プロマネ)に悩んでいたとき、おーすけさんという先達に色々話を聞いたことだろうか。おーすけさんも本業はシステムエンジニア……というより正確に言うとプロジェクトマネージャーなので、そうしたことには精通していた。プロマネならとりあえずPMBOKを学ぶと良いよと言われて、色んな資料をもらいつつサシ飲みしながら教えて貰ったことなんかもある。オケで繋がった縁とはいえなんだか奇妙な関係だなあと思ったりしていた。

自分がなぜTオケの運営に名を連ねていることになったのか、もはや経緯を全く覚えていない。思い返せば自分は未遂となったほしらべの第3回の途中から参戦した身で、ほしらべや他の運営メンツとの時間的な縁としては一番浅い。ただ、やっぱり自分が作った処女作を演奏する機会が結局訪れていないということにはずっともやもやしていたので、そこに対しての熱意がずっとくすぶっていたのかもしれない。10年以上前の気持ちまでは流石に覚えてないな……。

閑話休題。Tオケの演奏会といえば強烈な記憶に残っているのが、通称「事故ミュロンド」だ。曲のタイトルが「死都ミュロンド」だったのに掛けているのだが、演奏会本番での演奏中、この曲を演奏しているときに、今どこを演奏しているのかが迷子になるという珍現象が起きた。これは1人だけではなくて多くの人がそれを感じていた。曲的には同じリズムや音を繰り返している部分だったのだが、それが今どこを演奏しているのか多くの人が迷子になっていた。あれは演奏中ながらも本当に冷や汗をかいたし、その後は今でも語り継がれる伝説の事件となっている。別の曲では四拍子の曲に対して前振り3つの指示を出した指揮者もいたようだけど。

→当時の開催告知日記:FFTサウンドを演奏するテンプルナイツ交響楽団の演奏会が、いよいよ明日

この演奏会が終わった後は、とにかく大層、メンバーではしゃいだ記憶がある。府中の森でBBQはやったし、レンタルスペースを借りて料理を作ったりアンサンブルをしたりもしたし、今思えば本当に若かったなと思える。積極的にそうした企画を立てたおーすけさんが何よりも人との縁を大事にしていたんだよなあとも思うし、まあでも本人が楽しみたかっただけでは? という気もする。うん、後者だな。

そんなこんなのTオケはワンタイトル系の企画オケ(一発オケ)であったため、常設団体ではなく1回の演奏会を終えたら解団! 解散! というスタイルを取っていたのだが、なぜだか「第2回」が企画された。おーすけさんが「Tオケの運営をやるのが気持ち良くって……」などと気持ちの悪いことを何度も言ってたのを今でも覚えている。でも2回目がやりたくなっちゃったのなら仕方がないね。もちろんTオケ1回目(T1)のメンバーは解散していたので、運営4人を母体として第2回目のメンバーを再度集めるというカタチで2回目の演奏会(T2)が企画された。2016年のことだ。かねてよりやりたかったタクティクスオウガの演奏会だ。

第2回の演奏会を終えて舌の根も乾かぬうちの翌年、2017年。Tオケは星の調べとの合同企画というカタチでふたたびFFTの演奏会を行うこととなった(ほしT)。その次は4年後の2021年7月にベイグラントストーリーを演奏する第3回演奏会(T3)、そして2026年1月には再びタクティクスオウガを演奏する第4回演奏会(T4)を行うこととなった。

※ほしT終演後に書いた記事:財宝は語る ~ほしTアフター~

ほしT以降にTオケの活動がやや縮小していた理由の1つは、おーすけさんの指揮の人気ゆえだ。この頃、おーすけさんはファ・ディール室内管弦楽団(2017年2月)、Gloria Angelicus(2018年2月)、モント・トレーネン・フィルハルモニカー2019(2019年4月)と大規模プロジェクトで指揮を振っていた。これは素敵なことだ。おーすけさんのあの愛のある指揮が引っ張りだこの状態というのは自分として嬉しくて、色んなところで活躍されているのを見るのはとても誇らしい想いもあった。おーすけさんは原作ゲームをちゃんとプレイし完走しきった上で愛を語るというのも人気だったし、もちろん何よりも、奏者やスタッフの顔と名前を一人残らず覚えてくるという驚異の人柄もだ。

その後もモント・トレーネン・フィルハルモニカー2024(2024年10月)、OCTO ORCHESTRA(2025年4月)、Palace Orchestra(2026年6月)などの精力的な活動をしていたことからもやはりその人気は留まるところを知らなかったと言える。

少し時間を戻す。T3ではコロナ真っ最中の開催だったのもあって、演奏会が終わった後のレセプションやBBQなど交流イベントが行えなかったのが、おーすけさんをはじめとした運営メンバーの心残りだった。そんなこともあってT4では交流イベントを必ずやりたいという想いがあり、BBQは当然として、いまどき珍しい合宿イベントをねじ込んだ。大人になって演奏会合宿なんて……ということを全く誰も言わないのがテンプル運営。むしろこれが目的の一つまである。そういうところがここの味のひとつであり、そして大体そういうことを言い始めるのは何よりもおーすけさんだった。子どもっぽいというか、人なつっこいのだ。本当に。

おーすけさんはそういうところが人を惹きつけていたんだよな~というのを、居なくなって改めて思ったりするのだ。

2026年7月某日、夜。そろそろ寝ようかと思っていたところで、おーすけさんの奥さんから連絡を受けた。

自分はおーすけさんの家に何度か遊びに行ったこともあるしベルギービールを飲みに行ったりBBQイベントで会ったりで奥さんやお子さんと面識があったが、直接の連絡を受けたのは初めて。正直その時点で嫌な予感はしていた。ただ、やはりそのことを聞いた直後は、やっぱり何かのドッキリなのではないかという気持ちが全く抜けなかった。だって、前週におーすけさんと会っていたのだ。楽しそうに話し、飲み、みんなの前で偉そうに「また生きて会おうな!」などとのたまっていたのだ。そんな、またまたご冗談を。

オケ界隈でやっと連絡が付いたのが自分らしく、じゃあこれから色んな人に連絡をしますと言って電話を切った。ただその後気付いたが、これをどこまで言えばいいんだ? なんて言えばいいんだ? それに、自分ですら何の実感もないのに?

そんなことを思いながら、取り敢えずテンプル運営のまつさんとはまやんに連絡を入れ、動き出すところから始まった。どう伝えて行くかとか、ご遺族との調整とか、細かい話は割愛するが一気にやった。まあ仕事なんか手に付いたもんではなかった。ごめん本職。

有り難いことに、家族葬の前に顔を見る機会をいただくことが出来た。ご遺族には感謝してもしきれない。すぐにご都合を付けてもらったので、平日ながらも仕事帰りに斎場へ飛んで行った。斎場の入口に彼の名前があり、中へ入ると沢山の花と棺があって、それでもまだドッキリだと思っていた。棺の中で化粧されて眠っているおーすけさんの顔を見てもなお、ドッキリだと思っていた。いや何なら今でもまだ、電話で呼び出せば「イヨーウ」って言いながらどこでも飲みに来てくれそうな気がしている。それほどまでに実感はなかった。

有り難いことにその場でご両親ともお話しすることができた。中学生の頃にお父上のすすめでバドミントン部に入ると言っていたのが何故か入っておらず、お母上のフルートを勝手に持ち出して吹奏楽部に入っていたという話を聞いたときには、棺に向かって「報連相をしろおーすけ!」と声に出た。傍若無人か。そういうところだぞ。

他にも色んなエピソードを聞いたのだが、しかしどうにも気になったのは、ご家族に見せる顔とオーケストラで見せる顔とで随分と印象が違っていた。ご家族に見せる顔はどうにも隙を見せないというか、あまり多くを語らず過程を見せず自分のカッコイイ後ろ姿だけ(異論は認める)を見せていたように聞こえる。オケではむしろ隙を見せまくっていたというか、合奏中に奏者からああだこうだと叱咤されるような指揮者なんて他に類を見ないような人だったので、印象がだいぶ違う。そんな顔もあったんだなと、16年も縁があったのに今更のように気付くこともあるんだなと思ったりした。

自分が最初に話を聞いてから1週間が過ぎたが、今でも「何やってんだよ、おーすけさん」という想いが抜けない。FF12のオケをやりたいねという話もしたし、あとは自分とはまやんが熱烈に希望していた天地創造のオケも他団体名義でやりたいねという話もした。おーすけさんは以前どこかで「自分はあと何回ステージに立てるかを考えないといけないんだよなあ」なんて話をしていたが、何言ってんだまだまだこれからでしょと返したような気がする。けれど、それが急に0回になるなんていうのは話が違うだろう。すぐまたそうやって予定を変えるんだから。

色々とやり残した話もあるだろうし、自分もまだまだ思い出は尽きないけれど、ただここまで休みなく駆け抜けてきた彼には少し休みも必要だろうと思うので、一旦ゆっくりと休んでて貰いたい。家族サービスももっとして欲しかったのだが……まあそこはなんとか頑張ってやっておいてね、おーすけさん。かっこいいパパならそれくらい出来るでしょう?

また今度、ガハハと馬鹿な話をする飲み会をしましょうね。

三浦王介氏に捧ぐ

FINAL FANTASY TACTICS Original Soundtrackを聞きながら