Zephyr Cradle

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Ragnarok Online Variations


あの日を探して #4

 何年間も見慣れた天井。
どんな技術で造られたかなんて知らないけれど、何度見ても凄いなあと思っていた。
継ぎ目の無い石造りの建造物。
いくらゲフェンの真っ只中にあるといってもなんだが不思議な感じがする。
旧時代に建てられたと聞いたけれど、昔はそんなに技術が発達していたんだろうか。
「――気が付いたようだな」
 声をかけられてようやく自分がベッドの上に横たわっているんだと認識した。
エルファはううんと唸るような声を上げると顔を横へ向け声のした方向を見る。
 声の主は初めて見る男性だった。
若く見えるが歳は二十歳過ぎだろう。
黒い法衣に身を纏い、落ち付き払った表情がいかにも神官らしい。
 若者らしからぬ意味ありげな笑みを浮かべると椅子をベッドへと近付ける。
「具合はどうだね? 傷が痛むとか、気持ちが悪いとか」
 どうやら自分の介抱をしてくれていたのだということにやっと思い至った。
たぶんゲフェン教会の神官か何かだろう。
ヴァスが呼んでくれたのかなあなどと思ってみるもまさかねとかぶりを振る。
 エルファはベッドから少し上体を起こしてみた。
「えと、大丈夫です。まだ身体が少し重いけれど」
「ああ、それはファイアーウォールをまともに浴びたのだから数日間は続くだろうな。
ま、こればっかりはエルファ君の自然治癒力に任せるしかない。
それよりも脇腹の傷だ」
 初めは何の事だかさっぱり思い出せなかったが、
少し寝ぼけた頭をフル回転させて言われたことをようやく理解した。
 ヴァスターのコールドボルトで抉られた傷。
この傷の全身を走る苦痛に何度悲鳴を上げそうになったか判らない。
直視したくない程ひどく荒れて爛れていたのを薄ぼんやりと覚えている。
 あの時はもう一生治らないなと覚悟していた。
自分でも無茶をしたと判っていた。
すぐにポーションをかけたとは言ってもそんなもの焼け石に水であったし、
本当はヒールでもかけてきちんとした手当てが早急に必要だったのにそれを怠ったのだから。
一生ものの傷になっちゃったかなと半ば諦めていたのだが。
「……凄い、治ってる」
 布団をまくり上げ患部を見ると、そこにはほとんど傷が残っていなかった。
まだ少し赤く爛れてはいるがこれもそんなに致命傷というような傷ではなく、
ただちょっと酷い火傷という程度にまで治っている。
痛みもほとんど無い。
 エルファが驚いて神官の方を見ると、彼は安堵の表情を浮かべて椅子に深く座りなおした。
「ヴァスターに呼び出されて来た時は驚いたよ、この酷い怪我には。
その傷が何よりも強敵で、命に関わるほど危険なものだった。
私も流石に完治は不可能かと思ったのだが、
知り合いの薬師が非常に質の良いポーションを調合してくれてね。
それを飲ませてから、後は私がヒールをかけ続けどうやら見事に治ってくれたようだ。
この程度ならば一ヶ月も経てばきれいに無くなる。安心したまえ」
 神官は頷きながら経緯を説明してくれた。
 魔法の傷というのはそう簡単に癒せない。
肉体的ダメージと魔力的作用によって、武器による単純な傷よりも遥かに治癒が遅い。
これは魔法学の基礎知識として、世界の常識として誰もが識るところ。
だから当然エルファもあれだけのものを見ればまず治らないと信じて疑わなかったのだが、
こうも綺麗さっぱり治されてしまうと逆に声の上げようも無かった。
 エルファは何度もお礼を言い、その男性は神の導きだと言った。
 神の導きでも何でもいい、今ここにこうして生きていられることに感謝したいとエルファは思った。
 高く昇った日の光が眩しかった。
 そういえば昨日はあんなに嵐が来そうな天気だったのに、今日は快晴だ。
眠っていた間に雨でも通り過ぎたのだろうか、樹木の葉が小さく輝いてる。
 一通り検診を終えると神官は手帳を閉じて口の端を持ち上げた。
「さて、食事をする元気はあるかね? 体力を戻さなければ完治も遅くなる」
「あ、はい。じゃあ、お言葉に甘えて」
 神官は小さな椅子から立ち上がると安静にしていなさいと言いながら隣の部屋へと消えていった。
 改めて部屋を見渡すと、ここはヴァスターの寝室だった。
何度か遊びに来た事があったから良く覚えている。
 窓際にはかつてプレゼントした小さな仙人掌がまだちょこんと置かれている。
あの時は大して嬉しくもなさそうに受け取ったのにまだ生き生きとしているようだ。
意外と大切に育ててるんだなと思うと、少し笑みがこぼれた。
 懐かしい部屋を見渡し終えるとエルファは再び布団の中へと潜り込んだ。
布団の暖かさが肌にとても心地良かった。
 うとうととしてきたのでこのまま眠ってしまおうかとも思ったが、どうやらそうはさせてくれないらしい。

「エル、入るぞ」
 夢の世界が間近に迫ってきたとき、扉を開けて現れたのは、ここに居るはずのない人間だった。
「え、ちょっと……、なんでここにサティが居るのよ!?」
 そこに現れたのは久しく会っていなかったエルファの幼馴染み。
相変わらず背が高くがっしりとした体格の彼サテニスは、お盆片手に現れベッドの前にどっかと腰を下ろした。
盆の上には湯気が立った(わん)が乗っている。
「久しぶりに休暇が取れたんだ。それでエルの家にも顔を出したんだが、こっちに来てるって聞いてそれで。
ほら、粥。食えるだろ?」
 エルファは食事が出来るように上体を起こすと、受け取った盆をそのまま膝の上に置いてスプーンを握った。
少し腕力が落ちているのかスプーンを握る手が震えるが、大した事ではないのでそれについては黙っていた。
 口に運んだその粥は何か薬草が入ってるようで、少し苦いような甘いような味。
決しておいしいとは言えないがそれは身体の芯から全てを温めてくれるようだった。
「……話は、聞いた?」
 エルファは一口目を飲み込むと視線を合わせずに口を開いた。
「ん、ああ……聞いた。また無茶やったんだってな。
まったく、いっつも心配かけさせてくれるよな、お前って」
 言葉には怒りが込められていなくもないが表情を見ると明らかに呆れている。
普段ならば怒鳴りつけてきたりして口喧嘩になるものだが今日は何故だかそんな様子が無い。
エルファはそれを少し不思議に思いながらも、まあそれはそれでいいかなと片付けた。
「うん、ごめん」
 なんとなく謝らなきゃいけない気がして、自然と口から言葉が出た。
気付くと自分の顔には笑顔が浮かんでいる。
気が緩んできた所為かようやくそんな反応も返せるようになってきたようだ。
「まあエルが無事ならそれでいいさ」
「……無事って訳でもなかったんだけど、ね」
 あの後のことはよく覚えていない。
 それでも全身火傷に傷だらけでここに舞い込んで来たのだろうということは容易に想像がついた。
今こそあの神官とその友人の薬師のお陰ですっかりよくなっているものの、
その治療が無ければ命さえも危うかった状況に違いなかった。
身体の事は自分が一番よく解るとはまさにこのことだったのかとエルファは思う。
あの時、気を失う直前は、さすがにもう駄目かと思っていたのだが。
「お前はヴァスなんかに負けるような奴じゃねえよ。あんな頭でっかち、オレも負けやしないさ」
 拳をぎゅっと握り締めて言い切る。
言い方は厳しいがサテニスもヴァスターの実力を認めていると言う事は知っている。
以前一度だけ三人で魔物と共闘したことがあった。
その後サテニスは遠回しにヴァスターのことを誉めていたのを良く覚えている。
(こうは言ってもヴァスのこと気に入ってるくせに……)
 そう思うとなんだかエルファはくすりと笑みがこぼれた。
この二人の仲が良いというのはあまり想像出来ないゆえに、
お互い批判しあっている様はとても微笑ましかった。
「……なんだよ、にこにこして」
「なんかサティとヴァスって仲がいいなと思って」
「は? どこをどう見たらそういう言葉が出てくるんだよ」
 サテニスは半分呆れたように溜息をつく。
「ヴァスもそうやってサティの事を批判するのよ。サティは動きに隙があり過ぎるとか言っちゃって。
そうやって批判出来るってことはお互いをしっかりと見てるってことでしょ。
なんかそういうのいいなあって思ったら、なんだか可笑しくなっちゃってさ」
「……お前ってホント、何考えてるのかわかんないな」
 何よとエルファがつっかかるとサテニスは呵々と笑う。
「いきなりヴァスと勝負したりっていうのもそうだ。ホントに何考えてるのかわかんねー。
大体、そんな勝負受けなくてもさっさと街を出ちまえば良かったんだ。
ヴァスには負けないだろうと言ったって、あいつだって相当の実力者だ。
危険をおかしてまで挑戦を受ける必要なんか――」
「サティには解らないかもしれないけど」
サテニスの言葉を遮って、エルファは一呼吸置く。
その表情には不器用な微笑みがあった。
サテニスはその様子を不思議に思いながらも次の言葉を待つ。
 にこりと一つ笑むエルファの目は、少し潤んでいるように見えた。
「あれは、ヴァスなりの優しさなのよ」
「…………は?」
 意外な言葉にサテニスは驚いた。
そもそもクールを普段から装っているヴァスターに優しさという部分を垣間見る方が無理だというのに、
どうしてこの目の前の幼馴染みはそんな風に曲解したのか解らない。
 驚いたサテニスを見てエルファは言葉を付け加える。
「冒険者として外で生きていけるかを試したっていうのもあるんだろうけど、あの目はそんなものじゃなかった」
 殺気。
 そう、闘いの最中、エルファは確かに殺気を感じていた。
 そしてその目から感じ取れる意志は、それだけに留まらない。
「あたしの決心が鈍いっていうのをすぐに感じ取ったのよ、ヴァスは。
正直、自分でも判らないくらいだけど、戸惑っていたのは確か」
「……」
「本当は、魔物たちとやりあって勝てる自信なんてあんまり無かった。
本当は、一人で誰にも頼らずに生きていけるかなんて判らなかった。
不安だったみたい。
それをヴァスは、あいつは一発で見抜いたのよ」
 えへへと笑うエルファは、どこか吹っ切れたような、サテニスの目にはそんな風に映った。
「だからあいつは、あたしの決意を固めさせる為に闘った」
 少しの沈黙。
 昼の日差しに紛れて小鳥たちの可愛らしい声が響く。
その声はまるでその日差しが発している笑い声のよう。
 窓に置かれた仙人掌は陽の光を身体いっぱいに浴びて気持ち良い日光浴をしている。
 大切に育てられた仙人掌。
 あいつはあの仙人掌をどんな気持ちで世話していたんだろう。
「……やっぱり」
 サテニスが不意に口を開く。
その視線の先にはエルファと同じ、小さな仙人掌に向けられていた。
 落ちついた表情で、そして途端にふっと、小さく呆れながら笑った。
「エルは何考えてるのかわかんねーな」


***


「ふむ、そうだったのか?」
 手に持っているマグカップを一口すすると、目の前の男はからかうように笑った。
 ああ、どうして自分の周りにはこう性格が悪いやつしか居ないのか。
ちょっとだけ自分の運命を呪いたくなったじゃないか。
「まったく、エルファも余計な事をべらべらとよく喋る……」
 ヴァスターは盛大に溜息を吐いた。
二番目に聞かれたくない相手に聞かれてしまったのだから顔も覆いたくなる。
 年中溜息をついているようなヴァスターも、この日は普段の二倍くらい数が多かった。
「安心したまえ、私の口は固い」
「何が言いたいんだ、オトミ」
 ヴァスターの目の前に座る神官は手を口に添えてくつくつと笑っている。
 嫌な相手に弱みを握られたものだ、とヴァスターは思う。
いや、特にやましい事をしていた訳ではないので弱みでもなんでもないはずなのだが、
どうもこの似非(えせ)神官に聞かせる事だけは避けたいと強く願っていた。
 だが寝室はこの書斎と隣り合わせ、ドアが薄く開いているので会話はほぼ筒抜け。
中に入っていったサテニスとエルファの語り合っている内容は全て聞こえていた。
その内容が自分の話題となると流石のヴァスターも耳を傾けてしまうのは至極当然なのだが、
他人の事情にこっそりと首を突っ込みたがるこの男だけには聞かれたくなかった。
「まあ敢えて今更言う必要もないだろう。
いい子じゃないか。だがヴァスターが相手となると、あの子が少々不憫だ」
「……焼かれたいのか」
「はは、五割冗談だ」
 じゃあ残りの半分は本気で言っているのかと聞いてやりたかったがやめた。
 黒衣の神官はそうやって紅茶を一気に煽ると静かにカップを置いた。
その顔には満足そうな表情で、若くない笑みを湛えている。
「やはりオトミに頼んだのは間違いだったな。あんたは余計な事にまで世話を焼く」
「誉め言葉として受け取っておくよ」
 ヴァスターとこの神官、(むらさきの)音臣(おとみ)は古き戦友同士である。
 お互いに知り合ったのは一年前の古城グラストヘイム。
各都市がギルドや公共機関に呼びかけて掃討作戦を行った日の事だ。
ヴァスターはゲフェン魔法学院代表の一人として、
音臣はフェイヨン教会神官の一人として任務に当たっていた。
厳しい戦況の中、同じ部隊に配属された二人は見事なコンビネーションを見せて活躍し、
作戦終了後は王国公安維持局に勧誘されるほどの手柄を見せた。
 今では互いにほとんど会う機会も無く、各々自分のすべき事で精一杯である。
音臣はふらりと諸国漫遊をしながら、神官としては珍しい退魔師として日々を過ごしている。
「それで、ヴァスターはどうするつもりなんだね」
 不意に音臣が訊いた。
 その瞳には先ほどのように不敵な笑みは無く、真剣な眼差し。
「どうすると言われてもな、俺には負けたんだ。今更どうこう口出しも出来んだろう」
「阿呆」
 ヴァスターが言い終えるなり音臣はびしりと指を突き出した。
ヴァスターを真っ直ぐに捉えるその指はすらりと白く、いかにも教会暮らしの人間の肌色。
 だがその次に紡がれた言葉はその色よりも遥かに強い言葉だった。
「貴公は何故、何の為に彼女を止めたんだね」
 突然の言い様にヴァスターは顔をしかめる。
「……何を言っているんだ」
「先程からエルファ君が言っている事は恐らく正しいだろう。
実にヴァスターらしい愛情表現だと、彼女の推理に感嘆している」
「だから何を……」
「だが、それはあくまで二次的な目的だろう。
彼女と真剣に闘うほど大きな要因になったとは思い難い。
そもそも、その程度の事が目的ならば敢えて死闘を叩きつける必要もあるまい。
ただ口頭で潰せば良いだけの事だろう、貴公にそれだけの想いがあったのならば」
 音臣の真剣な語りにヴァスターも口を閉ざした。
「即ち、ヴァスターはただ純粋に彼女を危険な目に会わせたくなかった。
その為に死闘を叩きつけ、旅立ちを諦めさせようとした。彼女を大切に想うが故に。
……違うかね?」
「…………」
 思わぬ攻勢にヴァスターはただ視線をそらして閉口するしかなかった。
 まさにその通りだった。
この男はどこまでも気に食わない男だと思いながらもヴァスターは驚嘆している。
 テュケから聞いた情報を初めはヴァスターも疑っていた。
だが信憑性以前にこの内容はエルファに知らせるべきだという思いがよぎりすぐにウィスパリングした。
 知らせればエルファが何と言い出すかなど判っている。
かの親友を強く想うが為に、こういった情報が手に入ればいつでも飛び出していくだろうことは容易に想像がつく。
昔から無茶な事を言っては実行してきたおてんばなのだから当然の帰結である。
 しかしそれでもエルファには知らせねばならない。
エルファにはそれを知る権利がある。
そう思ったヴァスターは一も二も無く報告を送った。
但し、それは直接伝えたいという内容で。
 会って話せばその暴走を止められるやもしれぬ。
その可能性に賭けたが、その確率は砂粒ほどに小さなものだと解っていたし、実際に無駄だった。
逆にエルファをある程度決心させる結果となってしまった。
 ならば。
 残る手段は実力行使。
 圧倒的な力量差を見せつければ確実にエルファを打ちのめす事が出来ると確信していた。
精神的に打ち砕けば魔法の印は組めなくなり、マナの統制も不安定になる。
そこまでしなければ意味が無い。
 闘ってみれば結果は火を見るより明らか。
エルファを圧倒しながら揺すりをかけて確実に精神を破壊する。
それは徐々に相手の集中力を削ぎ、決心を不安へと変えていった。
 だが、とヴァスターは思う。
 これで良いのかと。
 確かにエルファの戦意は喪失し、冒険者としてやっていく自信も打ち砕いた。
 だがそれは本当にエルファの為なのかと、自問自答する。
 否、それは。
「ヴァスター、貴公も迷っていたのだな」
 それはヴァスターの独り善がり。
 ただのわがままだ。
 エルファを危険な目に会わせたくないというヴァスターの勝手な想い。
「……まだ俺も未熟だ」
 その迷いはいつしかエルファを勇気付け、後押しする結果となった。
ヴァスターの揺さぶりを乗り越えたエルファはより強い輝きをもってして復活し、
そしてヴァスターの魔力を越えた力で打ち負かした。
 完敗。
 決心出来ていなかったのは自分の方だと気付いたのは、最後の一撃が入る直前だった。
「人というのはな、ヴァスター。永遠に未熟なのだよ。
幾世代もかけて築いてきたこの社会も、秩序も、そして人々も、まだまだ成熟してはいない。
そしてこれは未来永劫変わる事は無い。不変の事実だ。
完全な存在というのは神のみ。だから我々はそれを崇め信仰する。憧れに似たようなものだな」
「……だが」
「だが私たちはどう努力しようと信仰しようと『人』だ。神にはなれん」
 気付けば嗤っていた。
その一撃に朦朧としながらも、そのお陰でヴァスターも決心がついたのだから。
 エルファに憎まれてもいい。悲しまれてもいい。
 ただ望むのは、エルファが無事生きてあいつと会えること。
 それだけ。
 それだけで、いい。
「だからといって未熟な自分に溺れてはならん。その慢心が己の成長を邪魔するからな」
 説いていた神官は一つ呼吸を置いた。
「……それで、あんたは俺に何をして欲しいんだ?」
「そうそう、あのサテニスという彼はエルファ君と共に行くと言っていたぞ。
流石幼馴染みとでもいうべきか、絆は強いな」
「だから何を――」
「察しが悪いな、エルファ君と共に行けば良いだろうと言っているのだ」
 音臣は顔に不敵な笑みを取り戻して再びにやりとした表情を浮かべている。
心底面白がっているからヴァスターにとっては本当に性質が悪い。
 だがこればかりは溜息で返す事も出来ない。
「行って俺に何をしろと? エルファにはサテニスがついて行くのだろう。
だったら俺にすることはない」
「阿呆か。貴公はまだ自分の立場と気持ちを解っていないのだな」
「立場と、気持ち?」
 隣の部屋からは楽しげな会話が聞こえてくる。
久しぶりに会った幼馴染み同士、溜めていたものを吐き出すかのようにはしゃいでいる。
 だが会話の内容まではヴァスターの耳に入らない。
今は目の前の神官が発する言葉に耳を傾けていた。
 音臣は薄く開いていた扉を閉める。
「エルファ君は貴公を信頼している。ヴァスター、貴公は居るだけでも彼女の力になるのだよ」
 ヴァスターは口を挟もうとするがそれを制止して音臣は続ける。
「それにな、貴公ももっと自分に素直になりたまえ。
正直なところを吐いてみろ、共に行きたいとは思わないのか?
彼女を自らの手で守ってやりたいとは思わないのか?」
「思わないとは、言わない。だけど俺はエルファを止めた身だ。
それに先程も言った通り、サテニスが居るのならば――」
「格好をつけるな。行きたいのならば行くが良い。
体裁? メンツ? 貴公はいつからそんなものを気にしなければならないほど偉くなったのだ。
もっと自分に悔いの無い生を全うしろ。先程説いてやった言葉を聞いていなかったのか?
『未熟な自分に溺れるな』と、そういうことだ」
 普段は大して真っ当なことを喋らない神官がいつになく真剣に喋る。
しかしそんなことを気にするよりも、今は決断の時なのだと悟る。
(自分に溺れる? 俺は、溺れているのか……?)
 判らない。
 自分の想いが判らない。
 この似非神官にする見抜かれた自分の想いが、何故自分では見えないのだろう。
「悩め若人。貴公にはまだ夢も希望もある。
早まった決断は後悔しか生まん。しっかりと考え、そして決断したまえ」
 音臣はすくと立ち上がると、机の上に開けっ放しだった医療器具を纏めて鞄に押し込んだ。
薬の匂いが部屋から薄まる。
 部屋を一通り見回し終えると鞄を持ってそれではと言って扉の前まで歩む。
「相変わらず唐突なんだな、オトミは。行くのか?」
「ああ、私がアドバイス出来るのはここまでだのようだしな。そろそろ行かせてもらう。
明日は退魔の仕事が二件もあるんで少々身体を休めておきたい」
 廊下側の扉の前まで送ると、音臣はああそうだと言って立ち止まる。
「彼女の傷はもう二、三日もすれば治癒するが、体力的に支障が出る恐れがあるため一週間は安静。
旅に出すなり行くなりは、一週間後以降にしたまえ」
「ああ、判った。恩に着る」
「ではまた会おう。報告を忘れるなよ」
 にやりと笑うと音臣はエレベーターホールへと向かって去っていった。
 去り行く戦友の背中を見て、それからヴァスターは窓から見える快晴の空を仰いだ。
ヴァスターの苦悩を知らずに高く青い空は嫌なくらいに晴れ渡っている。
寝室では今も二人が会話に花を咲かせているのだろう。
 幼馴染み水入らずここは邪魔してはならないだろうと思い、
ヴァスターは外套を羽織ってそっと学生寮を抜け出した。

 寮の門から出ると人通りが少ない道へと出る。
道の両脇にはすらりと細い白樺の街路樹が長く長く続いている。
白い石畳に白い石壁。白亜の空間。
久々にまじまじと見つめてみるとなかなか綺麗じゃないかと思う。
 明日の朝は散歩でもしようとヴァスターは一人心の中で決めた。
「――おっ、居た居た。ヴァスー!」
 突然背後からかけられた声にどきりとする。
聞き覚えのあるその声。
まだ少し幼さの残る女声は通りに昼下がりの通りに反響した。
 振り向くと通りの反対側から無邪気に手を振る懐かしい同期の顔があった。
その後ろには美しい金髪をたなびかせる彼女の相棒も居る。
相棒の騎士はヴァスターと目が合うと軽く頭を下げた。
確か名前はレリエラ。
一度しか会った事が無いが同期の銀髪の魔導士には似つかわしくない相棒という事でよく覚えている。
 ヴァスターが足を止めるとその魔導士は駆け足で追いついた。
一般的な外套に七宝紋様の入った小袖を纏うというアンバランスな格好をした魔導士。
彼女もまたヴァスター、エルファと同じくここゲフェンの魔術学院の出身である。
「久しぶりだな、はるか。それにレリエラも」
「うん、おひさー。ここも全然変わってないんだねえ」
 はるかは周囲をくるくると見渡しながらその景色を懐かしんでいた。
彼女は学院卒業後、アカデミーや大学に進む事もなく、ふらりとゲフェンを抜け出した。
だからゲフェンに来る機会というのもあまり多くなく、ましてここ学院通りに来る事などほとんど無い。
この通りの一帯は歴史ある地域として指定されており開発により手が加えられる事はない。
したがってここにはいつ来ても懐かしい景色が残っている。
 今も、きっとこれからも。
「そういえば、二人は何故またこんな所に居るんだ。ゲフェンに何か用でも?」
「何って、ヴァスのために来たんだよ?」
 にこりと微笑む顔はしっかりとヴァスターを見据えていた。
 はるかはずいと一歩近付く。
「テュケから二人が大変な事になってるってWisが飛んで来たんだよ。
だからリリと一緒に来たんだけどー……やっぱ何かあったのかな、その顔は?」
「これは……」
 左の頬を抑える。
赤く腫れたその頬はまだ痛みを伴ってひりひりと疼く。
死闘での決めの一撃、エルファのストレートが見事に入った証拠だ。
先ほどまでは無造作にガーゼを当てていたのだが外出の際は格好がつかないので捨ててきた。
ヴァスターは目立たせないつもりだったのだがそれは裏目に出てしまったようだ。
「あっはは、ゆっくりと話してくれればいいよー。何やら柄にもなくお悩みのようだからねぇ」
 自分でもそう思う。
こんなにも迷っているのは生まれて初めてではないかと、ヴァスターは思う。
更に、在学中に散々迷惑を被ったはるかに親身になられるだなんて。
 けれどそんな心遣いが今のヴァスターには嬉しかった。
ふっと笑うと二人の顔を見る。
「……そうだな、はるかの珍しい心遣いにあやかってみるか。どこか場所を移そう」
「おー、気前がいいね。勿論奢ってくれるんだよねー?」
「そうだな、愚痴を聞いてもらうのだからそれくらいはしよう」
 はるかはやったと喜びの表情を浮かべた。
もしやこれが狙いだったのかと疑ったが大抵後先考えずに行動しているはるかにそれはないかと思い直す。
どこにしようかと唸っていたはるかにレリエラが提案する。
「以前はるかが言っていたポリアモールという店はゲフェンじゃなかったか?」
「リリあったまいいー。あそこにしよう」
 甘味処ポリアモール。ゲフェンでも指折りの有名店である。
味も申し分無く、その名は首都プロンテラまで響いている。
連日多くの人で賑わうポリアモールはゲフェン西通りの老舗とも呼ばれる。
「ポリアか、少々値は張るが……まあ背に腹は変えられないか」
 たまには贅沢をしてもいいかと思うとヴァスターは懐を確認して先導する。
 三人は明るい太陽の元、ゆっくりとポリアモールへ向かった。

 晩春の強い日差しは身体の芯まで溶かすように染みていく。
路傍で色鮮やかに葉と花を広げる草花はきらきらと輝いている。
昨夜通り過ぎた嵐はその欠片を辺りに散らしていった。
疾る暗雲は生きる者たちに不安を与え、天から落ちた雨水は活力をもたらす。
過ぎ去った嵐は人々の心までも取り去ってくれたようで街は活気に満ちている。
 けれど。
 ヴァスターの心にはもやもやとした何かが残っていた。
正体は判っているが、解ってはいない。
今少し己を見つめなおす必要が在るようだ。





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20040518

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