Zephyr Cradle

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Ragnarok Online Variations


砂塵のラプソディ(後篇) #7

 最初に目についたのはベッドの横に置かれた小さな蝋燭の灯。橙とも黄とも判別のつけにくい仄かな炎がちりちりと部屋を照らしている。それでも明るいと感じないのは、やはり蝋燭が一本しかないからか。
 それほど広くもない部屋だと気付くのに数秒を要した。
 窓にはカーテンが引かれていて外の様子は窺えないけれど、今はまだ夜だという事くらいは判る。今日の天気はなんだっただろうかなどと呑気な事を思い返してみるがどうにも思い出せなかった。
 脇にはどこかで見たような顔が自分のことをじっと見つめていた。
 寝ぼけた頭を最大限に回転させながら思考を廻らせてみる。
 こんな部屋に見覚えがない上に、自らここに来た覚えもない。
 少女はうぅと唸りながらもう一度初めから思い出してみることにした。
 ええと、あたしは――
 モロクで――
「姫さんのお目覚めかね」
 真横でのんびりと椅子に構えている暗殺者は喜ぶでもなく、笑うでもなく、ただそう言った。
 イフェルは勢い良く上体を起こすが、すぐさま腿を走る激痛に悶絶する。
「く、ぁ――――」
「無理はしないほうがいい、骨にひびが入ってたんだからな」
 噴き出る汗と激痛の両方としばらく格闘した。
 そう、自分の足に深々と矢が突き立てられたのをイフェルはまざまざと思い出した。この激痛のお陰で、普段寝起きが悪いイフェルも一気に眠気が吹き飛んだ。
 必死に痛みを耐えながら、何故自分がここに居るのかを思い出してみる。
 追手たちに追い詰められて腿に矢が射られたその後。連中に囲まれた直後に現れた一筋の夜風に救われたような、そんな曖昧な記憶が蘇ってきた。
 それは確か、この目の前に居る男ではなかったか。
 改めて彼のほうに視線を移す。彼は先ほどから変わらずぼんやりとイフェルの方を眺めている。
「……キーちゃんが、助けてくれたの?」
 やっとの思いで口から出た言葉はそれだった。
 それを聞くとキーツは不満そうに表情を歪める。
「その呼び方はやめろって言ってるだろ。気色が悪い」
「この方が、呼びやすいよ。それに親しみも持てるし、似合ってると思うんだけど」
「どこが似合ってるんだよどこが。いいからテメェは大人しく寝てろっつーの」
 キーツの方はというと心底面倒な事に関わってしまったというような落胆の色が見られた。
 イフェルは自らの足を見やる。右足には入念に包帯が巻かれ、医療用のきちんとした添え木が当てられていた。なるべく動かさない方がいいという意味の手当てなのだろう。
 誰がこんな手当てをしたのだろうか。キーツでないことくらいはイフェルにもわかる。
 それに、ここは一体。
 そういえばまだそういったことを一切訊いていなかった事を思い返す。
「ここは――」
 口に出してから思い出した。どこかで見た事のあるような風景だと思っていたら、ここは。
「……教会の、修道院?」
当たり(ビンゴ)。ここはモロクの教会だよ」
 昔イフェルが修道院通いだった頃のプロンテラ教会にそっくりだと思い出したのだ。プロンテラと造りが同じであるならばここは恐らく医務室。
 人が誰も居ないのは人払いをしたからなのか、それとももう深夜だからなのか。
「オレには医者の知り合いなんて居ない。かといって今からギルドアジトに飛んでたんじゃあその傷はもっとやばい事になってた。だからやむを得ず教会に預けようと思ってここに来たわけなんだが」
 するとイフェルを治療したのは神官であると容易に推測が出来た。神官のヒールを持ってすれば瀕死の状態でない限りほとんど完全な治癒が可能なのである。
 骨にひびが入っていたと言っていたけれど、実際のところそれはもう完治しているのだろう。激痛が走るのは筋肉に負担がかかっているからなのかもしれないと思った。それならたぶん、一日もすれば完治するだろう。
「それにしたってキーちゃんが助けてくれるなんて思ってもみなかったよ。ありがと」
 イフェルがにこりと笑うと、キーツはふんと鼻を鳴らしてそっぽを向く。
「勘違いするなよ、見て見ぬ振りなんていうのがオレには出来なかった、そんだけ。それに見殺しにしたんじゃあのクソ坊主がうるさいからな。……テメェもちったあ仕事は選べ。あんな見え見えの罠に突っ込む馬鹿がどこに居る」
 言い訳をするなんて可愛いところがあるじゃないかと思ったが、前言撤回。こいつは本当に素直じゃないなと、イフェルは改めて思い直した。
 むぅっと膨れていると、最後の言葉が妙につっかかることに気付く。

 ――罠?

「ねえ、今のそれってどういう意味? 罠って――」
 訊くとキーツは驚いたようにイフェルの方へと向き直した。
「……あ? テメェら何か探りを入れにきたとか、そういうのじゃねえのかよ。スペサルティンの狂気を調べるだとか、人身売買の現場を取り押さえるためだとか」
「ちょ、ちょっと待ってよ。何それ――」
 足の痛みも忘れてイフェルはキーツに掴みかかった。
 全く聞いた事のない話が出てきて何が何だかわからなかった。狂気だとか人身売買だとか、イフェルには何の事なのかさっぱり判らない。
 イフェルは取り乱して問い詰めるが、キーツは鬱陶しそうに顔をしかめる。
「テメェらそんなのも知らないであの家に雇われたのか?ハッ、本当におめでたいヤツだな。疑いもしないで良くもまあ働いたものだ」
「だから、何の話をしてるのか全然わかんないよ!」
 イフェルは声を張り上げるがキーツは一層面倒臭そうな風を見せている。
 やれやれといった感じでキーツは仕方なく語り出した。
「オレも一週間ほど前にスペサルティンに雇われた。腕利きの暗殺者としてな」
 イフェルはその突然の言葉を聞いて驚いた。
「キーちゃんも、ザーゲンさんに雇われたの?」
「ああ。最初は詳しく知らされなかったが、下手をすれば戦闘になるからといって雇われたんだよ。それで次の日に知らされた任務はこうだ。『これからやってくる二人の雑用を、頃合を見て捕えろ』」
 キーツの発言に、イフェルはただ呆然とするしかなかった。
 蝋燭の炎がゆらゆらと揺れる。
 風が入る隙間などないはずであるのに、部屋が明滅する。
 キーツの、その言葉の意味するところは、つまり――
「そうしてやってきた雑用っていうのが、テメェらだ。オレも初めは何かの冗談なのかと思っていたが、そうじゃねえからビビったよ。まさかノコノコと、人身売買の首謀者邸宅に足を踏み入れるなんてな。だから何か企んでやってきたなと思えば……その有様だ。テメェら何も知らなかったんだな」
 そんな、と呟くが小さな声はかすれてほとんど消えてしまった。
 イフェルは意気消沈してベッドにうなだれる。足を伸ばしたままの妙な格好で黙りこくった。
 一陣の風が、今度は本当に、窓から入り込む。
 教会といえどモロクの建造物は基本的に窓にガラスは入れず木戸を嵌める。その薄く開いた木戸からひゅるんと小さな風が部屋の中に入り込み、見えない舞いを舞う。
 閉じた部屋で長生きの出来ないその砂塵は宙に溶ける瞬間、唯一の光源をもさらっていった。
 暗闇と静寂が部屋を包んだ。
 キーツの細かい息遣いも、イフェルの小さな嗚咽も、静寂の中に支配されて雑音と認識される。一定間隔で聞こえてくる音なんていうものは、いつしか周囲に溶け込んでしまうものだ。
 それは、隙間風と同じ。
 しばらくの間、そんな時間が続いた。
 一分、十分、どれだけの時間が流れたかは定かではない。窓の外で鳴く虫の声だけがそれを計る手段であったが、それも数えていなければ無意味。時計もまだ隣国シュバルツバルトくらいでしか用いられていないのだから。
 月がほんのすこしだけ傾いた。
「……キーちゃんは、知ってて雇われたの?」
 ぽつりと、うつむいたままイフェルは呟いた。
 キーツも同じく、何一つ変化の無い表情。
「貴族ってのは裏で何をやってるかわかんねえ。だから事前に調べておいたんだよ。そうしたら噂程度なんだがな、あの家はしきりに女中を募集しているという話を耳にした。何故そんなに入れ替える必要があるのかと不思議がってるヤツも多い。それは女遊びのためだとか若い娘を食ってるんだとか言いたい放題言ってやがった。そんなに嫌われてるのかと笑ったがな、事実は違うんだよ」
 いつになく饒舌なキーツにイフェルは少しだけ驚く。
 マスクに隠れた顔から表情は読み取りにくく彼が何を考えているのかは全然察せられないが、少なくとも情報を提供してくれているのだということはイフェルにも理解出来た。
「アイツはその女中を売ってるんだ。ヤツの部下たちが話してる会話からそうと判る。掴めない野郎だ、あのスペサルティンとかいう男は。わざわざ女を雇って他人に売るだなんて手口は聞いた事がない」
 キーツは標的がイフェルたちだと判った時点で仕事を投げ出し、こっそり抜け出したのだと付け加えた。
 あの時、部屋に侵入してきた男が言った言葉。
 ――お前たちは大切な商品なんだ。
 商品と言ったのはつまりそういうだった。
 強靭な肉体を持つ冒険者なんかを売って誰がどう酷使するのかイフェルには判らなかったが、少なくとも買い手は居るんだということはキーツの言葉からも明白だった。
 それを知っていながらキーツは雇われた。相手がどうあれ、それを手助けする仕事を自ら請負ったのだ。
「どうして、判ってたのにそんな仕事を引き受けたの?」
 イフェルは顔を上げ、キーツの双眸をしっかりと見つめた。
 下手をすればこの仕事でキーツは人身売買の手引きをして報酬を得てしまうところだったのだ。そんな非人道的なことをする人間と付き合っていけるような神経をイフェルは持ち合わせていない。
 返答次第では、ここでキーツを縛って騎士団に差し出す事もやむをえないと思う。
 そもそもイフェルはキーツと交流が浅い。キーツがギルドアジトに帰ってくるところをイフェルは一度だって見た事が無いし、会話した事があるのも今日で十回目になるかならないかだと思う。
 そもそも何故こんなに得体の知れない少年が『黄昏に染まる翼』に所属しているのか判らない。ギルドを結成して季節が夏になったある日、リーダーが勝手に加盟させてしまったのだから。リーダーの連れてきた者なんだからやばい人間ではないはずだと思っていた。
 現に今もイフェルはそう思っている。
 これまで接してきた中でも憎まれ口のようなものは叩くが決して厭うようなものではなかった。ツァイトやシュウにいいように扱われているその様はなんだか滑稽で可笑しかったし、暗殺者としては感情的でぶっきらぼうなその性格を嫌う事は出来ない。
 キーツは悪い奴なんかじゃないと、ずっと信じていた。
 信じていた、けれど――
「向こうから声をかけてきたんだ。折角の誘いを断る必要はないだろ」
「ちょっと……、じゃあそれが例え人殺しだろうと構わないっていうの?」
 イフェルは声を荒げた。そんな無差別に仕事を請負っていたのでは彼も表の世界では生きていけなくなるではないか。
 その当然の言葉にキーツは顔をしかめるとひらひらと手の平を振った。
「オレの本業は『暗殺』だ。人だって殺すし、雇われれば神だって斬ってみせる。だが勘違いはするなよ、オレだって無差別に人殺しを愉しんでるわけじゃない。人を殺すことを愉しいと感じ始めたら、それはただの殺人鬼だ」
 少しだけ俯きながらキーツはそう言う。
 ほうっと溜息を吐くと緊張した糸がすこしだけほぐれた。
「そっか、キーちゃんはちゃんと考えてやってくれてるんだよね。暗殺者って大抵はさ、誰彼構わず斬っちゃうし殺しちゃうでしょ。仕事のためなら」
「…………」
「だからキーちゃんは、大丈夫。他の暗殺者たちとは――」
「ちょっと待てよ」
 呟いていたイフェルをキーツが制した。先ほどとは明らかに眼光が違うのがイフェルにも判った。
 鋭く殺意の篭った瞳。
「なんなんだよそれは。テメェの都合の良い方向にばっか、勝手に解釈してるんじゃねえよ」
 キーツの語気が上がる。
 その勢いにびくりとするとイフェルの心臓は早鐘を打つようにどくどくと鳴り出した。
 何でもない、何も後ろめたいことなんてあるはずないのに。
「オレは人を殺す。さっきもテメェを助け出す時に四人を斬った。ヤツらは即死だろうな」
「! そん、な……ッ」
「手加減なんて器用なマネ、オレには出来ねえよ。オレの行く手を阻むものは斬る、それだけだ。さっき言ったことを覆すようだがな、人を殺す事に正義も悪もないしそんなモノに意味なんかない。オレはただ自分の身とテメェを守っただけだ。殺しなんてのはただの自衛手段なんだよ」
 月がまた少し傾いだ。暗い雲がゆるゆると月に被さり、灯りの無い部屋は一層闇に覆われる。
 静寂。
 キーツは一度窓から空を仰いだのち、再び言葉を紡いだ。
「……テメェはオレの何を見ていたんだ? 自分の良いようにしかオレの事を見てなかったんじゃないのか? 今もそうだ。オレはテメェが思ってるほど優しい人間じゃない、買いかぶり過ぎだ」
 イフェルはがくりと肩を落とし、震えるのを押さえながらウィルアへ放った言葉を思い出した。
 そう、イフェルはキーツも。
「……信じてた、のに」
 ぽつりと呟いた瞬間、仄かな月光に照らされた刃がイフェルの喉に当てられた。
 一瞬の早業。
 イフェルはその動きを捉える事が出来なかった。
 だが、動じる気配はない。表情が著しく変化しているのはむしろキーツの方である。眉間に皺を寄せ、ほんの微かに震える腕には相当の力が込められている。
「信じてた、だと? ハッ、笑わせるんじゃねえよ! 何度も会った事のないオレを信じるだなんざ、それこそオレのことを何も知らない証拠じゃねえか。口で言うだけなら何とでも出来る。そういう言葉でオブラートに包んで、結局はその信じてるとかいう感情を押し付けてるだけだろうが! 戯言もいい加減にしろ、テメェの妄想や幻想に付き合っていられるほどオレは甘くないんだよ」
 ――イフェルの言っている事は、ただの強要よ。
 イフェルは両手で耳を覆った。
 信じるっていう言葉が妄想? 幻想?
 強要?
 そんなはずはない。だって他人を想う心のどこに強要なんてものがあるんだろう。目に見えないといってもそれはここに確かにあるんだし、幻想でも妄想でもあるわけがない。
 そう、そんなわけはないのに。

 なんでこの二人は同じ事を言うのだろう。

 あたしはただ、ただ――
「逃げるんじゃねえよ!」
 キーツの恫喝によって現実に引き戻された。
 いつしか目尻には小さな水滴が浮かび上がっていた。
 キーツは刃を仕舞い、イフェルの胸倉を掴み上げる。
「そうやって耳を塞げば満足か、えェ? ……そりゃそうだよな、自分の殻に閉じ篭っていれば楽に生きられるんだからな」
 そんなわけないじゃないかとイフェルは思う。それはリーダーやウィルア、皆と一緒に暮らすのを否定する事じゃないか。

 ――あ。

 そうか。
 なんでこんな簡単なことに今まで気付かなかったのだろうか。
 これではまるで、いつかのリーダーと同じじゃないか。ウィルアを責めることなんて出来ない、だって自分も同じだったのだから。
 なんだかすこし恥ずかしくなった。
「満足なんか、してないよ」
 イフェルは表情を強張らせて、キーツを見下ろす。
「ならば耳を塞ぐのは止めろ。それはテメェの本意じゃないだろうが」
 手応えを感じたのか、キーツはマスクの下でにやりと笑ったような気がした。イフェルにそう思えただけで実際のところは分からないけれど。
 キーツは無言で手を離すとそっぽを向いてしまった。
 再び沈黙が訪れた。
 だが、それは先ほどとは明らかに違う静寂。
 イフェルもキーツも、互いに感触を得ていた。迷いは晴れつつある。
 月を覆っていた雲が流れ、部屋に薄い光が差し込んだ。それはイフェルの心に現れた一条の光のように。
「ありがと、キーちゃん。色々と」
「……」
 キーツの返事は無いが、イフェルは続ける。
「なんだか、突っ走り過ぎちゃったみたい。……ひどいよね、自分のことばっかり見て。こんなんじゃウィーちゃんに嫌われるのも当然だよ。うん、ちょっと焦ってたのかも。でもキーちゃんに助けてもらってやっと分かったよ。こんな簡単なことに今まで気付かなかったなんて、ね……」
「……」
「人殺しは嫌いだよ、今だって。キーちゃんのことは許すことなんて出来ないけど、それでもやっぱり……信じられるよ、キーちゃん。だって、こんなにも優しいんだから」
 なんとなく恥ずかしい台詞だなと思いつつも、言い出した言葉は止まらなかった。
 キーツはそっぽを向いたまま小さく鼻を鳴らした。
「買いかぶり過ぎだって言ったのが聞こえなかったのかよ」
「今日まで観察してた分をまとめると、そういう結論になった。取り敢えずしばらくは変える予定ないから」
「ふん……もう勝手にしろ」
 そんな仕草がなんだか少しだけ可愛らしくて、イフェルは思わず微笑んでいた。
 答えは出た。これが正しいかなんて解らないけれど、でもきっと、一つの答えだと思うから。
 ――そもそも、信頼って何?
 ウィルアが問いかけたあの問題。それに答えるためにも、もう一度彼女に会いに行かなければ。
 そうしてもう一度、ウィルアとやりなおそうと。
「オレは行くぞ」
 キーツはゆっくりと立ち上がり、木戸を大きく開け放った。夜の砂漠独特の匂いが部屋に入り込み、月光がイフェルをベッドごと照らし出す。この焼けるような匂いは嫌いじゃないなと思った。
 どこへ行くのかは言わない。それでも、行き先くらいはイフェルにだって察せられる。
「待って。あたしも行く」
 キーツは驚いた風もなく、ただ首だけをイフェルの方へ向けた。
 イフェルはまだ痛みの走る足を押さえながらベッドから立ち上がる。確かに尋常じゃない痛みだけれど、我慢出来ないというほどのものでもなかった。
「ウィーちゃんに伝えなきゃいけないことがあるから、だから――一緒に連れていって」
 一人で戦えるかどうかは難しいという事くらいイフェルにも解っていた。だから誰かに頼るしかない。
 そして今は、キーツしか居ないのだ。
 キーツは懐から一つ小瓶取り出し放って寄越すと窓の外へ飛び降りた。どうやらここは一階のようだ。
「……裏口から侵入する。遅れるんじゃねえぞ」
「うん、わかった」
 その返事を聞くなりキーツは宵闇に紛れて消えていってしまった。
 イフェルは教会の人間に挨拶をしてから向かおうとも思ったが、事は一刻を争うのでそれは後回しにすることにした。
 教会は逃げないけれど、ウィルアはすでに遠く、全力で追わなければ追いつけない位置にある。
 だから、ぐずぐずしてなんかいられない。今すぐにでも走り出さないと間に合わなくなる。
「ウィーちゃん、待ってて」
 イフェルは小瓶の中身を一気に飲み干すと月明かりの中へと飛び出した。
 火照った身体には、頬を撫でる冷たい風がとても心地良かった。



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