Zephyr Cradle

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Ragnarok Online Variations


砂塵のラプソディ(後篇) #6

 ツァイトが目配せをするとシュウは頷いて弓を取り、アジトの外へと駆け出した。
 開いた扉の先は夕刻の闇。そこに溶け込むようにその異国の衣装を纏った狩人は去っていく。口笛の音が聞こえ、その後にぴいという鳥の鳴き声が続いてイズルードの街に響き渡った。
 それを見送るとツァイトはゆっくりと依頼主を睨むように捉える。
「……なんのつもりだ。こんな事をして公安に何の得があるというんだ?」
 いつになく鋭い視線と言葉。ゲインもそんなツァイトを見るのは初めてだった。

 外は既に日が落ち、空は赤から黒へと変化しようとしている。
 一週間前にこのギルドへ来た依頼はスペサルティン家の荷運びと雑務。
 そして今日、このギルドに来た依頼はスペサルティン家にある人身売買の証拠品の奪取。
 前者の依頼には既にイフェルとウィルアがあたっていて、何も知らずに仕事をこなしているはずである。連絡の取り様がないため現状が把握出来ないが上手くやっているだろうと思っていた矢先に、招かれざる来訪者は言った。
 ――人身売買を行っているとの情報が入った。
 来訪者、王国公安維持局局長アナエルはその人身売買の裏を取って欲しいと依頼をしてきた。その標的がスペサルティンだなどと誰が予想出来ただろう。こんな偶然は、普通に考えればありえないのだ。依頼がダブルブッキングする確率は高くないというよりも、まずほとんど起こりえない。冒険者は星の数ほど居るのだし、依頼主や標的というのもまた星の数ほど居るのだから。
 だからこそツァイトが作為的なものを感じ取るのは当然だと、ゲインは思う。横に小さく座っているアルティは何やら悩んでいる様子で考えは読めないが、少なくともゲインもツァイトと同じように何か裏があるように感じた。
 もとから公安に良い印象を持つ者は多くない。これは冒険者やギルドに所属する者ならば誰しもそうである。何かと法を布いては粗悪な冒険者たちを取り締まり、市民の味方をする姿は正当であるがゆえに憎らしいのだった。冒険者は冒険者として当然の事をしているのにそれが市民にとって迷惑であるとされればすぐさま拘束される。王国から公認されたその権力は貴族たちの代弁として振るわれているのだ。
 秩序のため。正義のため。
 だが実際人の目にはそんな風に映らない。自由を制限されるのは冒険者たちの本意ではないのだ。
 その体制は騎士団との齟齬をも引き起こした。
 騎士団としても悪事は取り締まらねばならない対象だが、冒険者の立ち振る舞いまでを事細かに制限するようなことはしてこなかった。あくまで人の道を尊重し、両者の立場を理解しながら市民と冒険者たちを守ってきた。
 騎士団は全ての人間の立場を守り、公安は市民の安全を最優先とする。
 そして古来より人々を守ってきた騎士団は、突然現れた公安という組織に比べて市民をないがしろにしていると風評され始め、市民の心は公安のほうへと傾いてきているのだった。
 騎士団の一員であるゲインもまたその事態に憤りを感じている。だからこそアナエルには良い印象がないのだ。公安の依頼など、本来ならば内容も聞かずに追い返すのが常。
 あんなにも引き受けるのを渋ったのは当然だったのだが――事態はそれに留まらなかった。
 ツァイトが放った言葉にアナエルは少しも動じていない。眼鏡の奥に光る瞳は何の感情も浮かべていないように見える。
「それはこちらが訊きたいな、ツァイト殿。それこそ、我々がそんなことをして何の得があると言うのだね。我々はただ人身売買の証拠を押さえたいだけだ、それに他意はない。ただ偶然君たちの仲間がかの家に雇われているというだけだろう? ならば都合がいい、その者たちにウィスパリングを飛ばして事情を話せば楽ではないのかね」
 表情を変えずに淡々と語るアナエルに、ゲインはこの上ない不快感を覚えた。市民の上に立ち冒険者を取り締まる公安というものがこうも仁義、優しさがないとは腹が立った。こんな組織と比べられて騎士団が罵られているのかと思うとやりきれない。
 雇われた先のイフェルとウィルアが無事で居るだなんて、ゲインはこれっぽっちも思うことは出来なかった。スペサルティンという家がしでかしていることを聞けばそう思うのが普通だろう。あの家は召し抱えた者ですら捕らえて売り払ってしまう。そんな悪行を働いてきた家が二人に手を出さないなどとは考えにくい。
 仮にもイフェルは武術を習い免許皆伝を戴いているし、ウィルアも魔術師ギルドから認められた短縮詠唱(ショートスペル)の使い手だ。みすみす捕まるような真似はしないとは思うが、それでも不安を拭い去る事は出来ない。
 ツァイトは睨んだ目を逸らさずにしばし悩むと、再び口を開いた。
「……一週間前にスペサルティン家から来た依頼とこの依頼は関係ない、と?」
「その通りだ」
 その言葉を聞いても信用することなど出来るわけがなかった。
 公安という組織に対する先入観も十分にあるが、それ以上にこの男は信じてはならないという直感のようなものをゲインは感じていた。冷静な口調、落ち着いた表情と行動、どれをとっても何か裏があるようにしか思うことが出来なかった。
 だからひとまず、この場はツァイトに任せて様子を見ようと思う。ツァイトならばアナエルの尻尾を掴んでくれるのではないかと期待をして。
 アルティをちらりと見やると、彼女もこちらを向いてこくんと頷いた。
「では、依頼を受けるにあたって二、三訊きたい事がある」
 こちらの様子を伺ったあと、ツァイトはアナエルに向き直った。
 アナエルの背後にある窓に切り取られた空はもう暗く、夜の闇を呈している。潮騒の音は心なしか、いつもよりも遠くの沖で鳴っているような気がした。そんなことなどあるはずがないのに。

「標的――スペサルティンのことについて聞かせてもらいたい。その家が人道に反してまで人身売買をするに至った経緯など、公安ならばある程度調べ上げているのだろう?それを聞かせてくれないか」
 ツァイトが静かながら嫌味を含んでいるだろう物言いで訊ねるとアナエルはこくりと頷いた。
「過去の事実と憶測ならば当然用意してある。まずは、かの家が栄え始めた頃から話そう」
 資料を取り出したりするそぶりも見せずにアナエルは語り始めた。
 スペサルティン家は現在、当主ザーゲン・スペサルティンを据えているが名が知れ始めたのは二代前のジェルジュに起因する。そもそもモロクでは細々と卸問屋をやっていたスペサルティン家は貧しくもなく、かといって裕福なわけでもなかった。貴族に名を連ねる家であるために領地内の家から巻き上げた税金が転がり込んでくるので貧しくなるはずがないのだが、それでも派手な商売をすることもなく目立って収入が良い訳でもなかった。
 スペサルティン家で扱っていた品は主に各地の工芸品で、特に織物に力を入れていてフェイヨンから運ばれる品はモロクでもそこそこ良い評判をもらっていた。しかし織物という商品の特性上、莫大な収入もなく地味な一面を持っているのが現実だ。もともと大量生産品、日常品であるために単価も安く、ゆえに一度に発生する利益は大きくない。
 当時の当主ジェルジュはそんな商売に満足せず、代を引き継いですぐに経営方針の転換を試みた。
 まずは新領域への着手。それは織物以外の商品を取り扱うことによって利潤を増やそうという試み。ピラミッドやスフィンクスといった大きな遺跡があるにも関わらず当時のモロクには冒険者の補給を手助けする商業が発展していなかった。ジェルジュはそこに目をつけ大量に武器や魔法品、ポーションなどを仕入れてモロクでの販売促進を図り、更にはプロンテラから優秀な鍛冶師を呼び寄せ自前の店舗を設置した。
 織物は従来よりも広範囲、すなわちアルベルタやゲフェン、そしてアルデバランなどの地方から多彩に輸入を開始した。また、仕入れるだけではなくその都市間の運送業などにも努め、砂漠で鍛えた力強い運搬力が高い評価を獲得し、それらが功を奏してその経営転換は見事成功を納める。
 財力は日を追うごとに増して行き、最終的にはモロク市内半分近い商店を牛耳ることとなった。モロクでの商品の流通はまずスペサルティンを通すのが筋だと言われるほどにまで勢力を拡大したのだ。
「……だけど、今じゃモロクでもスペサルティンなんて名前は聞かない。そんなに凄い家だったのなら今でも名前が通ってるはずじゃないのか?」
 ゲインは不思議に思う。
 二代前のジェルジュ・スペサルティン、彼がいかに素晴らしい手腕を発揮したのかは良く解った。当時――五十年ほど前に、いまだ十分な発展を見せていなかったモロクの商業を一気に活性化させた功績は称えられるべきだろう。冒険者たちもそれから多く遺跡探索に向かったのだろう、ピラミッドなどの発掘が進んだのは比較的最近だとゲインは聞いていた。
 しかしそれほどまでに名を馳せた家が一気に埋没するだなどというのが予測出来なかった。たった二代で潰せるほどの名声ではないと思う。
 アナエルは少しだけ口の端を緩め、眼鏡を押し上げた。
「結論を急がないでくれ。それはこれから話すところだ」
 ぐ、とゲインが縮こまると隣のアルティが顔を寄せる。
「……ゲイン、貴方もう少し落ち付いた方がいいわよ。二人が心配なのは判るけど、冷静にならないと状況を見失うわよ」
 アルティの洞察力にはいつも驚かされる。そこまで見透かされると逆に怖いくらいだと思う。
 ゲインは今にでも飛び出していきたい心を必死に押さえていた。敵地の真っ只中にあの二人だけで居るということが心配でならなかった。どうしてシュウではなく自分をモロクへ行かせてくれなかったのかとツァイトを恨んだりもしたが、それは当然のことだと今更ながら気付く。こんなにも血気に逸っていては様子見のはずが一人で突入しかねないと自分でも判る。だからツァイトはシュウを選んだのだと。
 ゲインは気持ちを入れ替えて椅子に座りなおす。
「すまない、続けて」
 ――もう少し冷静にならないと駄目だ。
 横目でアルティを見やると小さくウインクを返してきた。彼女は本当に謎が多い。
 アナエルは関心の無さそうな表情で、再びスペサルティンの盛衰について語り始めた。
 その後モロクの商会を掌握したジェルジュだったが、その息子――つまりザーゲンの父親に代を譲ってからはそれほど良い功績を上げなかった。代を譲った直後、ジェルジュが急な病にかかり帰らぬ人となったためその息子へ父の知識や意志が伝えられる事がなかったのだ。独自の手法でこの財力を維持し、反映させていかなければならない。そう決意をしたのだが。
「周囲の重圧に耐えられなかったか」
 ツァイトの言葉にアナエルは頷く。
 彼の手腕は悪くなかったが、周囲の期待の目に耐えかねてあまりに事を急いたがために結果は芳しくなかった。全ての事柄を同時に運ぼうとして行き詰まり、期日に間に合わないような時は寝る間も惜しんで商売に勤しんだが――一人で背負い込み過ぎたのだ。
 そんな忙しさの中でも彼は一人の女性と添い遂げたが子を成してからすぐに過労のあまり倒れた。医者はその状態を見て休息を取るように打診したが、彼はそれでも父が築き上げた商売を破滅させる訳にはいかないと言って医者の言葉を無視し、スペサルティン家の商売に文字通り命を削った。
 そして間もなく、彼は亡き者となった。今のご時世珍しい過労死である。
「……悲しい結末だな。父の遺志を継ごうとするあまりに自らも命を落とすとは」
 ツァイトは目を伏せて呟いた。誰に向けて放たれた言葉なのかは解らない。何かを揶揄しているようにも感じたがそれが何なのかまではゲインには察せられなかった。
 そういったプレッシャーに対する思いはゲインにも考えるところがあった。周囲の期待に沿おうとして戦火に命を落とす者を数多く見てきている。家柄とか功績とか名声とか、そういうものに捕われて自らを滅ぼしてしまうなどという事はこの世界の常識で日常。それは貴族という枠でも、騎士という枠でも同じだ。
 そんな哀しい世を変える為に騎士になり道を説く。だがその内部でもまた同じ世界が展開されているのだ。
 騎士が正せる迷走、騎士であるがゆえに起こる迷走。
 迷う事は悪くない。生き物というのは皆迷うものだと思っている。それを経て成長してきた結果、今ここに居る自分があるのだから。だから迷うなとは言わない。
 だけど、ならば何故こんなにも胸が苦しいのだろう。
「そして、若くしてザーゲンの元に代が回ってきた」
 アナエルの淡々とした声にはっとする。アナエルがここからが本題だと言わんばかりに構え直したので、ゲインも少しだけ身構える。
 テーブルの上の灯りが小さく揺らいだ。
「勿論経済や商売などとは無縁だったのだから満足に経営など出来るはずもない。したがってもはやスペサルティン家は絶えるしかないとそう思われていたのだが」
「家がなかなか絶えることはなかった……いやむしろ成長し始めた、のか?」
 そうだ、とアナエルは相づちを打つ。
「もう潰れたと思われていたスペサルティンだが、一年ほど前から再び頭角を見せ始めた。それも、急速にな」
 スペサルティン家は一度完全に沈黙し財界から姿を消したのだという。モロクにある邸宅はかろうじて確認出来ていたがそこで何をやっていたのかは誰も知らなかった。ただ、完全に商売を打ち切ったのではなく細々と織物業だけは続けていたらしい。
 そして一年ほど前、突如として財界に再来する。それも多額の財力を有していて、完全復活と呼ばれるほどの力を握っていた。今まで数年に渡って沈黙していた期間何を企み何をなしてきたのかは語らずに元の座へと再び返り咲く。その新しい手腕は決して素晴らしいと呼べるものではないが、それよりも財力にものを言わせてザーゲン・スペサルティンはモロクに君臨した。君臨といっても大きくは出ず、かといって暗躍することもしない。頂上から見下ろすように牛耳っていったのだ。
「そんな時、我々公安維持局の元にモロクの商人が訴えてきてね。あのスペサルティンの財産はどこから出てきたのか、大して事業を広げているわけでもないのにどうしてあんなに金があるのかとな。私も初めは遺産か何かが残っていたのだろうと思っていたのだが、どうやらそうではないと」
「……そこで公安がガサ入れをしたという訳か。そして諜報部隊を派遣した結果、人身売買の現場を目撃してしまった、といった具合か」
「大方その通りだ。それ以来相手の警戒も厳しくなってしまい現場を押さえる事が出来なくなってしまって、こちらが張っている日はそういった取引を控えたり場所を変えたりとなかなか尻尾を掴む事が出来ない」
 なるほど、とゲインは納得する。すなわち警戒されているのは公安で――冒険者たちでさえ、しつこい公安を警戒するのだから闇取引をしてるとなれば至極当然なのだが――ただの冒険者ギルドが警戒されるということは考えにくい。だからその証拠品を手に入れ現場を押さえるためにこのギルドに依頼を持ちかけたという訳なのだろう。
 ツァイトは少しの間考え込み、納得したように頷く。
 その様子を確認したアナエルは上着のポケットから手の平より少し大きい程度の小さな板を取り出し机の上に置いた。良く見れば本当に何の変哲もないただの板。板の端がギザギザと鍵のように欠けていて、中央に黒く文字が書かれている。文字は読みづらいが多分「PD-N531」と書いてあるようだ。
「これは?」
 ツァイトが手に取って眺めているとゲインが代わりに答えた。
「取引の際に互いに見せ合う札だよ。騎士団でそういうのを取り締まった時に何度か押収した事がある。今目の前に居る相手が本当に取引を契約した相手なのか確認するために使うんだけど、それと同じような札をもう一方も持ってきてその鍵状になっているところに嵌め込むんだ。それがぴたりと合ってかつ書いてある暗号、筆跡が一致したならばそれは約束の相手という意味になる。相手が間諜(スパイ)でないことを確認するための、一種の儀式に使う道具さ」
「こんなただの板切れで大丈夫なのか?」
「契約を結ぶ時、その場で板を割って作るから複製は不可能。紛失は契約放棄と同じ意味らしい。それにこういうもののほうがかえって信頼出来るんだ。魔法製のものだと仕組みさえ解ってしまえばいくらでも増やせてしまうから」
 へぇと感嘆の声を上げてアルティもツァイトの手にあるそれを覗き込む。
 騎士団や公安などに属していない人間はこんなものに接する機会などないので見た事がないのは当然だろう。一見すれば玩具の板切れみたいなものだがこれは大金や人命を左右する重要な鍵なのだ。
「知っているのならば話は早い、スペサルティンが用いている札は最もオーソドックスなそのタイプ。それをあの邸宅から探し出してくれれば結構だ。それさえ見つかれば十分に罪を問う事が出来る」
 アナエルは簡単に言い放つが、実際のところそれは容易ではないとゲインは思う。ただでさえ厳重に守られているであろう小さな板切れをこっそりと見つけ出すなど、そういう術に長けている暗殺者や荒くれ者(ローグ)たちならともかく、ツァイトやゲインには不可能であるように感じた。しかも在り処が判らなければ邸宅の間取り図もないのだ。そんな状況で板切れを探し出すなど無謀という言葉がが似合うのではないか。
 暖炉の薪がぱちりと爆ぜる。外は今日も寒いのだろう、暖炉に火が入っていても足元から凍るような冷気が昇ってくる。
 ――イフェル……ウィルア……
 やはり思考はあの二人の事に行きつく。何事もないはずがないのだ。今はただ無事で居る事を祈るしかない。シュウの報告を待ってそして作戦を練らなければならない。もし二人が無事ならば連絡を取り合ってあの札を探し出せば良いのだが、二人に何かあったとしたら事は慎重に運ぶ必要がある。下手に動けば何が起こるか解らない。二人を人質にでも取られたらそれこそ身動きが取れなくなってしまう。
 スペサルティンの大まかな事情を聞き把握はしたが、結局のところそれは作戦に関係ないのではと思う。そんな事を聞いたところで作戦が変わるわけでもないんじゃないのか。
「不安か、ゲイン」
 気付くとツァイトが視線を投げかけていた。
 普段と変わらない無愛想な無表情。聖職者にしてこのギルド『黄昏に染まる翼』のリーダー。冷静な判断力とカリスマを認めてメンバー一致でリーダーを一任した彼はゲインも信頼を置く事が出来る人物である。
 普段から感情を露わにすることが少ないツァイトだが、しかし今日は少しだけ焦りの色が見えるような気がした。特にどこという変化があるわけではなく、その纏っている雰囲気がそんな風を醸し出しているように感じる。
 ツァイトの言った不安の対象が仕事のことなのか二人のことなのかは、自分でも図り切れなかった。
「……不安にならずにはいられないよ。ツァイトやアルだってそうだろう? 僕だってどうすればいいのか、どうなっちゃうのか判らない。正直なところ、今はそっちの仕事よりも……二人のことが心配だ」
「そうか」
 ツァイトは小さく答えると腕を組んで黙ってしまった。
 こういう時は誰かと会話していたほうが落ち付くものなのだが、ツァイトは一人で考え始めると寡黙になってしまうので何を考えているのか推し量る事が出来ない上に話し相手にも出来ない。そこで助け舟を求めるようにゲインがちらりとアルティを見やるのと、アルティがすとんと椅子から立ち上がる――背が低いので椅子から下りるという表現の方が近い――のはほぼ同時だった。
「アル?」
 そそくさと玄関口まで駆けて行くアルティはその声に気付くと首だけで振り返った。
「ん、ちょーっとそこまで調べ物」
「こんな非常事態に、一体どこへ何を調べに行くんだ?」
 バターを買い忘れたのでちょっとそこまで買い物にという風体で駆けて行く。小さな身体を走らせて急ぐほどの調べ物だからよっぽど重要なことなんじゃなかろうかとゲインも立ち上がるがアルティはそれを制した。
「もうすぐシュウから連絡が入るだろうから貴方たちは先にスペサルティンのところに行ってて」
「アルはどうするんだ?」
「あたしはちょっとだけ遅れて行くわ。すぐ追いつくから心配しないで」
 それじゃと言い放つと勢い良く扉を開け放って宵闇に紛れていった。
 ツァイトはスペサルティンが今までに何人の者を雇い何人が消えたのかなどといった事件に関する詳細をアナエルから聞き出している。

***

 なんとなくばつが悪くなってしまったのでゲインは上着とマフラーを羽織って外に出た。
 シュウのウィスパリングを待つにしても外の方が気付きやすいだろうと思ってのことだ。
 戸を開けて外気に触れると凍るような寒さが襲い掛かってきた。息は白く、肌が露出している部分はそよ風が吹くだけでぴりぴりと痛みを伴う。
 イフェルだったらこんな寒さ、絶対に耐えられないだろう。毛布に包まってそれこそ引き篭もってしまうと思う。それを見てまたウィルアがうんざりした顔をしながらみっともないからやめなさいよそんな事などと注意する。
 そんなありきたりの風景が、今は何故だか懐かしい。
 一週間彼女らが出かけているだけでこんなにもギルドの空気が変わってしまうのか、居心地が悪くなってしまうのかと我ながら少し驚く。
 守りたいものがある。だからこそ自分は騎士になった。
 そして反対を押し切ってまでこのギルドに入った。それは一つの手段だったのだけど。
 それが今は、どうだ。
「あー……」
 ゲインは守りたいものが一つだけではないということに、今ごろになって気付かされたような気がした。信頼できるこの仲間たちを守らなければならないといつのまにか心に決めていたことに気付かなかった。
 それがなんだか、当たり前のこと過ぎて。
「なんで、今ごろなんだろ……」
 ギルドアジトの壁に背を預けて白い息を小さく吐き出す。その色がなかなか消えない事から普段と比べて相当気温が下がっているんだなと思う。
 道の先を見やると遠くの灯りの下、駆けるアルティの姿がちらりと見えた。
 イズルードのギルド街はやや傾斜のある斜面に作られているので見下ろせば街全体をゆうに見下ろすことが出来る。アルティのほてほてと歩く小さな姿はこの距離だと豆粒のようでなんとも可愛らしい。
 彼女は生まれ持っている商人の才能がある。それこそこのギルドを今まで支えてこられたのはアルティのお陰だと言っても過言ではない。
 だが彼女の戦闘能力はほぼ皆無と言っていい。冒険者ギルドに所属していながらその能力に欠けるのは致命的だが、彼女にはそれを補うだけの行動力がある。情報収集などといった、ゲインたちとは違う分野で動いている。
 今もきっと何かを推測して、それを探りに飛び出していったのだろう。
 アルティにはアルティにしか出来ないことがある。それを彼女はしっかりと把握してこなしている。
「ピィッ!」
 高い鳴き声に振り向くと、そこには一羽の鷹が大きな翼を広げて舞い降りて来た。シュウの相棒である、シュン。その足には小さな手紙が括られていた。
 シュウのウィスパリングが届いた。
 腕にシュンを留め、手紙を手早く抜き出して内容を確認する。
「…………」
 予想通りとでも言うべきなのか、そこに書かれていることは急を要する事態だった。シュウの癖のある達筆な文字が緊張感を感じさせないが、それが逆に違和感を呼んで何故だか事態の深刻さを一層際立たせる。
 ゲインは小さく毒づいた。
「イフェル……ウィルア……」
 あんなにも小さく若いアルティでさえ一人駆け回っているというのに、この自分の非力さはなんなのだろう。騎士団とか公安とかいった枠にとらわれ躊躇して、そして二人の仲間を危険に晒そうというのか。
 ゲインは拳を強く握り締めた。寒さでかじかんだ手は赤く染まっている。
 アルティには負けていられない。今は自分にしかできないことを成し遂げなければ。
 腕に留まっていたシュンを空へ放つと大きく一声鳴いて南西へと飛び立っていった。
 マフラーを翻しながらアジトの中へと入る。用件が終わったのか丁度アナエルが立ち上がるところだった。もう今更アナエルに構っている暇もないので無視してツァイトの方へと向き直る。
 ツァイトは意図を察したのか、椅子から立ち上がっていつもの黒い法衣を羽織った。ゲインは楽に着ることができるアドベンチャースーツとロングコートのみ着込んで暖炉の火を消す。戦へ向かう準備など整えようと思えばすぐに終える事が出来る。万全とは言えないが、相手が人間ならばそれほど強固な装備も必要ない。
「アナエル・プリンシパリティ、これを持っていてくれ」
 突然ツァイトはそう言うと小さな金属をアナエルへと放り投げた。
 それはエンペリウムで作られたこのギルドのバッヂ。小さな羽根と沈む太陽のエンブレムが彫られ、今はまだ世界で十六個しか存在しない。
「預けておくだけだ。事が済めば返してもらう」
 それだけ言うとツァイトはゲインが準備を終えるのを待つ。ゲインもあとは剣を選んで携えるだけ。暖炉の脇に飾ってある東方の刀を握り締め、ツァイトに一つ頷く。
「行こう、ツァイト。二人が危ない。作戦はどうするんだ?」
「おいおい説明する。まずはシュウと合流して、アルティを待つ」
「了解ッ」
 扉を開け放ち、二人は闇の中へと飛び出した。潮風がざわりと頬を撫でる。
 向かうはモロク――かけがえの無いものを守るために。

***

 しゅっ、と燐寸(マッチ)を擦ると夜の闇に小さな灯りが現れる。その種火を口元へ静かに運び、煙草に火がつくと手元を振って消火した。
 ゆっくりと呼吸をして、短く紫煙を吐き出す。
 黒いスーツに黒い外套を纏った男はそのたった一度だけの呼吸のあと、右手で煙草を捻り潰した。
 眼鏡の下の瞳は遠く駆ける二つの影を追う。
「――さて、お手並み拝見とさせていただこうか」
 男は口元だけ微笑ませると、コートを海からの冷たい空気に晒しながらゆっくりと街へ下っていった。



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