Zephyr Cradle

Site Menu

Ragnarok Online Variations


砂塵のラプソディ(後篇) #5

 街には幾つもの影が駆けている。ある者はメイスを握りまたある者は弓を握る。背の高い者も居れば低い者も居る。どれも秩序なく駆け回っているように見えるが、だが彼らに共通していることがある。それは皆、目的があって動いているという事。
 彼らは大通りを駆けることはない。商人たちのテントや土壁、石造りの住宅の陰などを宵闇に紛れて疾駆している。
 お互いがすれ違う時は小さなサインを送り合って情報を共有し、そしてまた闇へ潜る。
 目標があるとはいっても一見すればただ無秩序に捜し回っているだけのよう。だが上空から俯瞰することが出来れば判るように、彼らの行動範囲は時間と共に狭まっていく。
 モロクは首都南西にある主要都市ということもありただならぬ広さを持っているが、金さえあれば人一人捜すのなど造作もない事だった。この人数を揃えて行動範囲を定めてしまえば大した手間もかからない。
 影たちの行動範囲は徐々に狭まる。南に設置されたカプラ支部からもっと西へずれた一角、そこに彼らは集結しつつあった。
 近くの小道は全て閉鎖し、大通りへと繋がる脇道もそれとなく抑えられている。
 まるで、小さな鼠を追い詰めるかのように。

 吐く息は白い。
 小刻みに震える身体を抱くと思ったより自分は小さいなという感覚を覚える。
 肩をこすっても全然暖かくなる傾向はない。もっと厚着をしてくればよかったのだろうがそんなものは後の祭。
 息が上がっていて、小さく吸い込む空気はどれも肺を凍らせてしまうかのよう。
 胸が苦しい。その冷たい空気は少女を内側から蝕んでいった。
「あたしの所為だ……あんなこと、言わなければ……」
 壁に背を預けながら呟いた言葉は誰にでもない、自分に言ったもの。その独り言を聞く者は居ない。居るとすれば、空高く輝くあの天の月だけ。
 ふと空を見上げる。夕暮れも過ぎ去り夜も深まってきたこの時間、既に空は満天の星で埋め尽くされていた。数え切れない無数の輝きが、しかし大地を照らすという事はない。降ってきそうなほどの星も、弱い輝きでは砂漠の大地を輝かせる事は出来ない。
 先ほど暮れかけの空に感動した心はどこへ飛んで行ってしまったのだろうか。
 背を預けた壁を、そのままずるずるとしゃがみこむ。膝を抱えて縮こまってみても一向に暖かくはならない。
「ウィーちゃん……」
 スペサルティンの家で抑えられたあと、イフェルは一人で逃げ出した。何が起きたのかもはっきりと判らないまま転移魔法を使用して、適当な場所に身を隠しては追手に見つかり逃げ出しての繰り返しでようやく落ち付いたのが今の場所。落ち付いたとはいってもそんなに長くはもたないだろうという事は明白である。
 本当に何が起きたのか判らない。
 何故ウィルアが捕らえられなければいけなかったのかも、自分が狙われたのかも。いくら悩んでも思い当たる節はなかった。ザーゲンに言われた通りてきぱきと仕事をこなしていっていたし、イフェル自身も雇い主である彼に気に入られていると、そう思っていたのだ。
 そう思っていた矢先の、突然の襲撃と捕縛。
 イフェルはぶんぶんと頭を振った。
 ウィルアは捕まる前に何と叫んだか。
 ――アンタまで捕まったら、誰がリーダーに報告するのよ……っ!
 今はその原因を突き止める事が目的なのではない。そんなものを解き明かしてもウィルアが捕らえられたという事実は変わらないのだから。
 だから行かなければ。
 皆の居る場所、イズルードへ。
「とにかく、今はリーダーのところに行かないと……」
 カプラ社まで行けばどうにかなる。今手元にお金は無いけれどそのカプラ社でギルドの資金を下ろせばイズルードに帰ることくらい出来るはず。
 だが問題は別の場所にある。
 普通、街中では武器と攻性魔法の使用を禁じられている。王国の方針でそう定めているので騎士団はそういったものにうるさいし、公安に至っては市中抜刀禁令、市中攻性魔法使用禁令などという法まで布いているので街中で武器を振り回す事は出来ない。
 だがそんなものは騎士団や公安に見つからなければ問題ないのだ。暗殺や冒険者同士のいざこざなど、武器や魔法が無ければ務まらないのだから。
 だからこそ追手たちはイフェルを大通りへと出させなかった。全ての道を塞ぎ、徐々に追いこんでいく戦略をとっている。当然の手法なのだろうがそれが今はとても憎らしい。こちらが一人なのに対して相手は数十人。この状況を切り抜けるのは容易ではなかった。
 イフェルのテレポートでは目に見える範囲にしか転移出来ない上に、今はもう魔力も底をついている。更に空腹と寒さで体力をほとんど奪われてしまっていてまともに戦う事も走る事も出来ない。八方塞がりとはまさにこのことを言うのだとイフェルは身をもって実感した。
「だから、冬は嫌いなんだよう……」
 イフェルがようやく立ち上がると、そこに冷たい風が吹きつけた。
 肌が凍りつくような寒さ。モロクへの道程でも味わったが砂漠の夜というのは本当に寒いのだと身に沁みた。次にモロクへ来る時は日帰りにしようと、そう決めた。
 ふと耳に小さな音が聞こえてくる。
 数人分の、砂を踏む音。
 イフェルは小さく舌を打つ。体力も魔力も全快してもいない今、彼らに出くわせば抵抗できない。少しでも足音から離れようと、かじかむ手足を引きずりながら走り出した。
 おおよそ走るという表現には程遠い状態ではあるが、それでもこの使命のために走らなければならなかった。
 砂漠に遮蔽物はほとんどない。だからこそ逆に視界が開けてしまっていて、気を抜けばあっさりと捕捉されてしまう。イフェルは夜陰に紛れて建物の陰を利用しながらじりじりと移動する。自分がどの方向に進んでいるかも正直なところ判らないけれど、それでも見つかってしまうよりはマシだった。
 走る。
 異変を、リーダーたちに伝えるため。
「異変……」
 イフェルは街を囲う城壁の脇でふと足を止めた。
 彼女が捕縛された、その事実よりも気がかりな事が胸につかえている。
 彼女の身に起きた異変は、もう一つあった。
「ウィーちゃんは、何を抱えていたんだろ……」
 あの様子は尋常ではなかった。何が原因だったのかさっぱり判らないけれど、動きにキレが無い上に頭の回転も鈍っていた。普段の悟ったような気迫も薄く、それがイフェルからも確実に見て取れた。
 あんなにも弱々しいウィルアを、イフェルは見た事がない。
 ――余計なお世話よ。
 それをこんなにも心配している。
 こんなにも彼女の事を大切に思っているのにどうして伝わらないんだろう。
 ――イフェルの言っている事は、ただの強要よ。
「そんなことない!」
 再びぶんぶんと(かぶり)を振った。違う、そんなはずはない。
 あの異変ぶりを目の当たりにして放っておけるはずがない。誰だってあの姿を見れば心配して、何があったのか親身になって聞いてあげなければと思うに決まってる。
 それが当然の応対であって、そう接せられれば自然と気分が安らいでいく。愚痴っていうものはそういうもの。話してもらうだけで、聞いてあげるだけで本人の心の痞えが取れるのである。
 だけど。
「なんで、なんで……?」
 彼女はそれを拒絶した。
 イフェルが差し出した手を払い除けたのだ。
 そんなこと、理解出来るはずがない。彼女はそれを最も求めていたはずなのだ。誰かが苦悩につまずいた時、手を差し伸べてあげる事はとても自然な行動だと思う。イフェルはそうやって何度も誰かに助けてもらったことがあるし、ウィルア本人にもそうしてもらったことがある。
 そう、イフェルはそれを返しただけ。
 ――それなのに、何故?
「ウィーちゃんは、あたしが嫌いになっちゃったの……?」
 その時。

 びゅんと空を切る音がした。

「――――――――ッ」
 声にならない悲鳴が口から漏れた。
 鈍い衝撃と同時に、右の腿が熱くなる。
 意識が飛びそうになるのを必死に抑えてその場に膝をつく。その動作すらそこから激痛を呼び起こす。
 周囲には誰も居ない。だがそれは至極当然、弓士が姿の見られる場所から射る訳がない。
 矢は深く骨まで届いているようで、右足は完全に動かなかった。
「う……、くぅ…………」
 歯を食いしばってどうにか痛みをこらえているが、そう長くはもたないと判る。意識が飛ぶのが先か、追手が追いつくのが先か。どちらにせよこのまま彼らに見つけられるのは確実である。
 イフェルは必死にヒールを試みるが、意識が覚束(おぼつか)ないのと魔力の不足とで魔法を構築出来ない。
 ざくざくと足音が聞こえる。今度は先程よりも数が多い。
 音がするほうを見やるが視界がぼやけてしまってうまく相手を捉えられなかった。月明かりしか頼りがないこの明度で目視出来るのはせいぜい十メートル先までである。
 音が、声が聞こえる。
 こんなところに居やがったぞとかあいつの弓は天下一品だなとか言っているように聞こえるがよく判らなかった。
 足音が、声が近付いてくる。
 イフェルはただ朦朧とする意識の中、ウィルアのことを案じていた。
 彼女が何を思い、何を悩んでいたのか。
 そして、何故拒絶したのか。
 今はもう、それだけしか考えられなかった。

***

「おい、そこのザコども」
 そう言うと自覚があるのかないのか、本当に振り向くから笑ってしまう。
 イフェルが倒れたところに駆けつけた者たちは周囲を見渡すが、その声の主を発見することは出来ない。暗殺者(アサシン)たちが得意とする技術、隠れ身を見破れるのは聖職者(プリースト)狩人(ハンター)くらいなもので、その場に居る連中の中には隠れ身を見破れる者は居なかった。
 声の主はマスクの下でにやりと笑うと俊敏な動きで二人の男を斬り捨て、倒れたイフェルの背後に出現する。
 その男は夜の空と同じ色のごく薄い装束に身を包み、腕に装着されたカタールは血の浮いたままだらりと両脇に垂らしている。
 招かざる者の登場に男たちは戸惑い、そして各々に得物を構えた。その突然の事態に恐れおののいている者も少なくなく、明らかに恐怖してしまって切先がかたかたと定まらない者も居る。
 震える声で何者だと問い質してくる者も居るようだが、暗殺者は取り敢えず無視しておくことにした。
「……キー、ちゃん……?」
 足元からの声にキーツは視線を移した。
 本来は綺麗なはずの金髪も砂にまみれ無造作に乱れ、顔も汗を浮かべて死人のような色をしている。腿には痛々しく矢が刺さり、足は動かないようだった。
 しかし、それでも未だに意識を保っていられるのは流石と言うべきか。
 キーツはチッ、と舌を打つと顔をしかめてイフェルを見下ろす。
「テメェらしくもないな、この程度の連中に遅れを取るとはな」
 苦しいはずだろうに、イフェルは乾いた笑顔を装いははっと鈍く笑った。
「……ごめん。……しくじっちゃっ、て」
「もういい、喋るんじゃねえ」
 キーツは呆れて顔を覆う。
 何かが吹っ切れたのか、イフェルはふっと安心した表情を浮かべて気を失った。
 矢が刺さっている腿はすでに化膿を始めている。早めに手当てをしなければ右足を切断しなければならなくなるだろう。
 キーツも流石に放っておく事は憚られた。
「テメェら、まだやるつもりか」
 キーツが視線を送ると一同は慌てたような表情を見せる。だがしっかり得物を構えているところを見ると恐怖しながらもまだ抵抗する気はあるらしい。目の前で二人を殺されておきながら逃げ出さないということだけはそれなりに誉めてやるべきか。
 だがキーツにとって義務感やら忠義やらというのは、正直うざったいだけである。
 ふっと笑うとキーツは懐から小さな赤い魔法石(ジェム)を取り出した。
「安心しな、今日のオレは機嫌がいい。テメェら雑魚と遊んだりはしねぇよ」
 石に魔力を込めるとそれは淡く紫色に輝き始める。赤かった輝きは紫色の光をどんどんと増していき、鼻を突くいやな匂いを発し始めた。
 男たちは待てとか逃がすかなどと叫んでいるが大した事はない。腰が引けた腑抜けたちに負けることなど有り得ないのだから。小走りに迫って来た武器を全て受け流し、適当に蹴りをくれてやると面白いように吹き飛んでいった。
 暗殺者は心底面倒臭そうな表情を浮かべて吐き捨てる。
「そんなに死がお望みならば遊んでやってもいいんだぞ?ただし、代価はテメェらの命だ。それでも良けりゃ、かかってきな」
 喝を入れると、三人の男が同時に斬りかかってきた。
 キーツは魔法石を握り締めたまま、得物(カタール)の方に神経を研ぎ澄ますことにする。脳内で簡単なスイッチの切り替えをすると、カタールはまるで身体の一部分であるかのように動く。特に難しいことをしている訳ではない。魔力の制御と武器の使用では精神の使い方が異なるというだけ。
 まずは一人目の懐に自ら飛び込み喉元を右から一閃。
 血飛沫が噴き出るよりも早く左へ抜け、二人目の脇腹を左で一突き。
 刺したカタールを引き抜く代わりに蹴りを入れて三人目の男ごと弾き飛ばす。
 ――そして、身をよじって矢を避ける。
「甘い」
 飛び出した三人の背後、何十メートルか先に弓士が居るのは確認済み。仲間を盾にして、カタがついたその瞬間を狙うというのは相当潔い奴だなとキーツは毒づく。
 だが二撃目は来ないだろう。
 先ほどまで握っていた石を矢と入れ替わりに投げつけておいた。魔力を込めた魔法石は(ダスト)となって周囲に毒素を撒き散らす。その霧は視界を遮り、吸い込めば数分と持たない猛毒となる。もはや目を開けて矢を放つことなど出来はしないだろう。
 足元には赤い水を吹き上げる四つの死体が転がっていた。キーツは表情一つ変えずに一連の動作をやってのけた。血の滲むような修練を越えてきたキーツにとってこの程度の事は何の造作もない。この程度の相手ならば、子どもがぬいぐるみと戯れるのよりも楽にこなせる。
「……まだやるか?」
 軽く見上げると男たちは弾けるように尻尾を巻いて逃げていった。
 所詮はこの程度だったかと残念に思いながらも、面倒臭かったので安心する。
 番犬なんてそんなものだ。どいつもこいつも虚勢は張る割に自分の命が危うくなると途端に血相を変える。人間に忠実であると言われている犬でさえそうするのだから、それが人であるならば尚更だ。
 呆れる。信頼、友情、忠誠なんてものは結局その程度のことなのだ。
「ああ、こんなことしてる場合じゃなかったか」
 振り返るとぐったりとした僧兵(モンク)が横たわっている。苦しげな表情を浮かべたまま、小刻みに呼吸を繰り返して。
 キーツは面倒臭そうに頭を掻くと、軽々と少女を抱える。
 自分と同じくらいの年齢、背丈であるが大して重いとは思わない。これも長年の修練で鍛えられたお陰か、と苦笑する。
 少女はキーツに抱えられてもなお表情を歪めたまま。
 そしてうわ言のように呟いていた。

「ウィーちゃん……」

 キーツは顔をしかめる。
 ――もうここまで首を突っ込んじまったら後戻りは出来ない、か。
 夜色のマスクを闇に翻し、キーツは街を駆けた。
 もう二度と行くまいと決めたあの場所に向かって飛ぶように速く。

 そして最後にもう一度、
「……あー……、全く面倒臭ぇな」
 そう呟いた。



- Prev - / - Next -

Copyright(C)2001-2005 by minister All Rights Reserved.