Zephyr Cradle

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リバーダンス-Riverdance-


0. ノクターン第2番変ホ長調Op.9-2 (7)

 目の前の空間にイメージを集中する。表層意識から深層意識までを、そこに無いものがまるで元から存在していたかのように書き換える。
 少女が日本語ではない言語をなにがしかを叫ぶと、少女と黒衣の男との間に七本の剣が現れる。浮遊しているそれぞれの武器は意志あるが如く牽制をし、男が疾駆してくる瞬間を狙って弾丸のように突っ込んだ。
 男は大きく西洋刀を払うと、触れていないにも関わらず、四本の剣は糸が切れた操り人形(マリオネット)のように床板へと落下した。残りの三本のうち、一本は身体を捻って避け、二本は西洋刀を直接ぶつけて叩き落とした。
 息をつく間もなく、少女は左手に握った短剣を構え、男の懐へ向かって突っ込む。
「甘い」
 男は二本の剣を叩き落とした態勢のまま、西洋刀を横薙ぎに払う。
 少女はすんでのところで体勢を屈めてそれを避け、そのまま男の脇を抜けていく。男が振り返るよりも早く、少女は再び男の懐へと身体を滑り込ませようとする。
「決定打に欠けるな。魔女とは言え、そんな飾りっ気ない短剣一本では大きな律動も厳しいんじゃないかい」
 今度は西洋刀を床に擦らせ、下から打ち上げる。少女は短剣でその刀身を軽く弾き、再び男の脇を抜けて行く。
 駆け抜けるやいなや、少女は文言を叫び、床板へ短剣を突き刺す。瞬間、男の周囲が青白く円状に明滅した。
 のたうつ床をイメージし、その床が男を持ち上げて鉄拳を振り下ろす動きを意識の中へ鮮明に描く。そのイメージは少女の腕を伝い、短剣を媒介して、直接現実世界へと現象を具現化(コピー)する。文言は短剣の起動を促す合言葉(スペル)であり、周囲への影響を一気に促すための言わば起爆剤である。
 男は咄嗟に跳躍した。それまで男が立っていた床は火山が噴火するかのように持ち上がり、そのまま巨大な人の腕を形成する。鉄拳は男よりも一回りほど巨大。腕の太さは大木程もあった。
「――ひゅう。へえ、面白い使い方をするんだね、アンタは」
 それに怯むこともなく、男はただ面白そうに笑う。
 下手な重機などとは比べ物にならないほど恐ろしい速さで襲いかかる(かいな)に、男は最低限の動きで立ち回り、握っていた西洋刀を躊躇いなく突き刺す。そうして、少女のものと似通った文言を唱えた。
 瞬間、猛々しく震えていた腕は意気消沈し、見る間もなく元の何も無い体育館の空気の中へ霧散していった。
「だけど残念ながら、オレが被弾する前に調律してしまうとそれも無意味ってワケ」
 跳躍したまま、落下の勢いで加速された袈裟がけを眼前で避け、少女は後方に跳躍して間合いを取る。
 黒衣の男はこの戦いを楽しんでいるのか、はたまた時間を稼いでいるのか、少女に対して追撃はしなかった。初めに剣を交えた位置よりもかなりステージに近い場所に立ち、少女は呼吸を整える。
 先程からほとんど受け身でしか攻撃を繰り出してこないところをみると、やはり遊ばれているのかもしれないと思えた。仲間を呼んだようにも見えず、かといって手を抜いているようにも見えない。そう思うと腹が立つ。
「脱走の際に消耗した体力が戻っていないようだな」
 男はあざ笑うでもなくそう呟く。
「先程よりもスピードが極端に落ちている。その短剣でそれだけの律動を行うのは驚いたけれど、所詮は手負いの獣ってことかい」
「……あんた、口の減らない男ね」
「同僚にも良く言われるよ。お前には緊張感のかけらもないのか、ってね。でもこうしてると落ち着くんだ」
 少女はその同僚に同意した。さっきからずっと喋りっぱなしで、集中出来ない訳ではないが、うるさくて仕方がない。
 そんなお喋りな相手に、少女が放つ攻撃は全て相殺されていた。先程放った七本の剣は消え失せており、操った床板も何事もなかったかのように綺麗なものに戻っていた。少女が彼らと戦うのは初めてではない。毎度のように全ての攻撃を殺されることとなり、苦戦を強いられていた。
 この男は今まで戦ってきた相手の中でも、最も技術に卓越していると言えた。素早い判断力と鋭い身体のこなしを持っている。この調子では、先に少女自身の体力が消耗し切ってしまう。それは火を見るより明らかだった。
 少女は肩で息をして呼吸を整えながら、ちらりとステージの上を見る。
 かの青年はピアノの筺体に頬を当て――今にでも夢の世界へ旅立ちそうな顔をしていた。
「…………」
 これが灯台元暗しというのか、と少女は呆れた。相対している黒衣の男以外にあそこにも、こちらは本当に緊張感のないやつがいた。
「ちょっと、あんた」
「……んー?」
 青年は実に頼りない声を上げた。
「状況わかってんの?」
 少し大きめの声で呼びかけると、青年は目をこすりながら少女と黒衣の男とを見比べた。次いで彼の真横で小さく身構えている白い猫――エレナをしばらく眺める。
 十秒ほど考えた後、
「今はピアノを弾くべきじゃなさそうってのは判る」
「……ホント、いい根性してるわあんた」
「そりゃどーも」
「今のは褒めてないわよ。黙ってさっさと家に帰った方が身のためよ」
 青年は頭の後ろを掻いて、大きなあくびをする。
「……かったるいなー」
「あんたとてつもなく馬鹿でしょ!」
「良く言われる」
「そういう問題じゃなくて、あんたの命に関わる問題なのよ!」
「はあ」
 青年はとぼけた声を上げて、再びそのまま筺体へ突っ伏した。そのまま寝るようだったら黒衣に殺される前に殺してやろうかとも少女は思ったが、それを読み取ってか否か、青年は思い出したかのように顔を上げる。
「んーでもほら、」
「何」
 青年はひとつあくびをしてから、顎を筺体に乗せた。
「あんたがなんとかするんだろ?」
「……は?」
 少女には一瞬、彼が何を言ってるのか理解できなかった。
「だから、俺はほとぼり冷めるまで寝る。眠いし。終わったら起こして。じゃそういうことで、オヤスミ」
 そう言って青年は今度こそ熟睡モードに入った。いびきすら聞こえてきそうなほど、ぱったりと動かなくなった。
「…………」
 何を考えているのかさっぱり判らなかった。判らなくはなかったが、実に理解に苦しむ行動だった。少女の知る限り、目の前で命のやり取りをしている時に「オヤスミ」と言って寝こけるような人間は一人もいない。常識と経験に照らし合わせてみても、常軌を逸した行動であることは間違いなかった。
 そもそもかの青年は、この常識はずれの戦いを見て何も感じないというのか。
 変な奴だと思っていたがここまでとは、少女も思っていなかった。
「はあ……、もうどうなっても知らないわよ……」
 盛大にため息をつくと、少女は再び黒衣に向かい合って身構えた。左手に握った短剣を強く握り直す。まだ少し息は上がっている――今怒鳴ったお陰で全然呼吸は整わなかった――が、戦えないほどではない。気分は随分と落ち着いていた。
 男はというと口に手を当てて、笑っていた。
「……何かおかしいことでも?」
「いや、なんでもない」
「あ、そ」
 また少しばかり腹が立ったが、そんな感情はすぐに捨てる。今はこの男を倒すのが先決だと、少女は次の攻撃の流れを構築し始めた。相手に相殺されるよりも、もっと素早く一撃を見舞う方法を思案し、そしてそこへと繋げるリズムを編む。
 何よりもまず、相殺力を高める媒体であるあの西洋刀を封じなければどうしようもない。少女の持つ短剣と逆の力を持つ西洋刀とは、例えるならば火と水。火にあたる短剣で真っ当に戦えば勝ち目が無いのは、少女からも目に見えている。
 より強い火で水に相対すれば蒸発させてしまうこともできるが、それだけの力はもう残っていない。ならば――その蛇口を攻めれば良い。
「作戦は立ったかい」
 男は薄く笑みを浮かべながら、ゆっくりと剣を掲げる。
「あんたに言う必要はない」
「それはごもっとも」
 そう言って、少女は再び床板を蹴った。

「ふわあ」
 青年は大きなあくびをすると、エレナに手を伸ばす。が、やはりすんでのところで逃げられてしまった。
 仕方ないので追うこともせず、視線を持ち上げてステージの下を見る。
 時に床板が剥がれ上がって壁を作り、時に何もない空間に水柱が立つ。少女がそれを操り、またありえないほどの動きで跳躍したかと思えば、男の方は何ら怯む事なく西洋刀でそれを受け流していった。
 男が西洋刀を振るうと少女が起こした異変は即座に綺麗さっぱり元に戻されていく。先程からずっとその繰り返しをしている。
「なんで俺、ここにいるんでしょうね……」
 青年は独りごちる。友人にも「お前はなんでそんなにへんてこな生活してるんだ」とよく言われる。以前からよく事故現場に居合わせたり猫の死体を見かけたり、また学校で起きた幽霊騒ぎの事件に巻き込まれたりなどもしており、何か憑いてるんじゃないかと思わせられるほど悪運が強かった。そのミーハーな友人に言わせてもらえば「羨ましい体質」だと言うが、もっと慎ましく平穏に暮らしたい青年にとっては、これっぽっちも嬉しくなかった。
「……」
 今度は空気中に電撃が走る。それを男が剣で受け止め、そのままの格好で少女に切りかかっていた。少女はすんでのところでそれを避け、再び間合いを取る。
「……やっぱ寝よ」
 自分にできそうなことは何もないということくらいすぐに判ったので、取り敢えずは専門家に任せてしまうのが無難だという判断に至る。そう思うともう退屈なことこの上ないので、寝ることにした。
 気づくといつの間にかエレナが近くに寄っている。緊張した面持ちで戦況を見守っているので、気付かれないよう後ろからそっと手を伸ばしてみるが、やはりすぐに逃げられてしまった。

 どれくらい戦っているのか判らない。何分か、何十分か、それ以上なのか。舞台袖へ至るドアの上に掲げられた時計は、深夜の十二時をとうに回っていた。
 手に握る短剣は刃毀れが激しく、あの西洋刀と打ち合えばあと数度ほどで折れてしまいそうだった。そうなる前に決着を付けなければ、戦況は更に不利になってしまう。
「そろそろ手詰まりかい、魔女サン」
「本当にうるさい男ね、あんた……」
 少女は短剣を逆手に握る。次なる変化(へんげ)のイメージを流し込み、蓄積する。
 男の方はいよいよ飽きてきたのか、少しずつ立ち回りが積極的になってきていた。少女の攻撃に対して立ち位置をほとんど変えずに受け身をとるだけであったのが、先程から自ら剣を振るって追撃を見せるようになってきた。疲れ切ったところを手早く仕留めるのだろうということは、容易に想像ができた。
 まだ体力が残っているうちに何とかしなければならない。そのためにはまず、あの剣を封じることが先決だった。
 変化させた物質でからめとっても、刀身に触れればすぐに還元されてしまう。したがって剣に触れる事なく男の手から西洋刀を手放させるしかない。それが判っていてもすべて弾かれてしまっているのだから、残された手は限られてくる。
 少女が動くよりも早く、男が剣を上段に構えて疾駆した。
 迎え撃つ策は既に練ってあった。男の間合いに入るまでに、六歩。
 少女は短剣を握り直し、空いた手を正面にかざす。目の前の空間が一瞬青白く輝いたかと思うと、そこに無数の氷の粒が形成された。雹の如きそれらは少女の指が舞うと、弾丸のごとく一斉に男へと降りかかった。
「古典的かつ正攻法、下手な鉄砲数撃ちゃ当たるってワケかい」
 男は上段に構えていた西洋刀を少しばかり下げ、文言と共に若干横に薙ぎ払う。その斬撃の軌跡よりも二回りほども大きな範囲、宙を舞う弾丸の一部が文字通り霧散していった。
 だがそれで全ての弾丸が消え失せた訳ではなく、いまだに半分以上が残っている。少女は暗闇の中その状況を把握すると、意識を弾丸の方へと投げかける。短剣が淡く発光したかと思うと、突如弾丸のベクトルは変更され、男の頭上を通り過ぎて行った。
 男はそれを目で追う事もせず、何事もなかったかのように剣を下段に構える。少女に向かって疾駆する足が緩むこともない。
 少女も短剣を後方へ引く。空いた手の指で宙に弧を描くと、それによって弾丸も宙返りをするように進行方向が修正される。
「巧い。だが――」
 自分の後方に迫った弾丸に気付いていながらも、男はスピードを落とさずに少女との距離を詰めていった。男の剣が届く間合いまで、あと二歩。
 少女の目測が正しければ、男が間合いに入るのと弾丸が届くのとはほぼ同時。弾丸にかまければ少女は男の隙を突くことができ、また少女に斬りかかるのであれば弾丸は避けられない。
 男の間合いまであと一歩。片手で引きずっていた西洋刀を両手に握りこみ、弾丸と同程度の速さで疾駆する。
 そして、少女と接触する瞬間――男は跳躍した。
「ッ!」
 少女の目の前からは男の姿が消え、代わりに無数の弾丸が迫っていた。
「はっ、その速度で反応出来るかい?」
 男は少女の頭上を飛び越え、そして背後に回り込む。跳躍中に上段の構えに変えられていた西洋刀は、そのまま振り下ろせばすぐにでも少女を捉えられる位置にあった。
 先程まで男を挟撃していた状況が、一転していた。
「チェックメイトだ、魔女サン」
 男が掲げた西洋刀を袈裟に振り下ろす。嫌らしく光る刀身が、少女の位置を完全に捉えていた。
 男の顔が、笑みに歪んだ。
「……そこまで読んでなかったと思う?」
 少女はそれだけ言うと、短剣を西洋刀に直接ぶつける。それでも勢いを殺し切れなかった西洋刀は少女の頭上へと迫るが、その刀身へ弾丸が打ち付けられた。
 男の顔には初めて驚愕の色が浮かんだ。無数の弾丸によって勢いを完全に殺された西洋刀は反動で宙に舞い、男の手を離れていった。氷の弾丸など易々と還元することが出来る媒体である西洋刀とはいえ、男が文言を唱えなければ発動などすることはない。
 少女はそれを狙い、極力接近して男が文言を唱える間もなく一撃を浴びせられるタイミングを見計らっていたのだった。不意を突ければ尚好都合。
「ちっ……!」
「クイーンは封じた。あとはキングだけね」
 西洋刀はステージのすぐ真下の床に突き刺さっていた。すらりと細長い刀身は月光を反射して淡く輝いている。男は余裕の表情など見せることも無く、すぐさま剣の刺さるステージそばに向かって駆け出した。
 しかしそれよりも素早く、少女は短剣で宙を切る。宙に十字が描かれ、それは青白く光り出す。
 創造するイメージは、男を捕らえる圧縮空気の鎖。剣の柄に触れられるよりも早く男の動きを封じてしまえば、それで終わり。
 ――の、はずだった。
 パン、とガラスが砕けるような嫌な音が、暗闇の体育館にこだまする。少女は苦い表情を浮かべ、対する男の口には不意に笑みが浮かんだ。
 その音は少女の握る短剣の先から発せられた。十字に切られた青白い光はすぐに消え失せ、そして、短剣の刀身は柄だけを残して粉々に砕け散っていた。
 少女は小さく舌打ちをする。
 逃亡中に黒衣の連中から一本掠め取った短剣だったが、所詮は無いよりはマシといった程度の媒体であることは少女も判っていた。恐らく最近作られたばかりの、量産タイプであろうその短剣は、抵抗と耐性、伝導率共にあまり高いものではなかった。今の衝撃がとどめとなったのだろう。
「どうやら魔女サンの律動に耐え切れなくなったようだな」
 男は床に突き刺さった西洋刀の目の前に立ち、視線だけを少女へ向けた。
「そんなチャチな短剣であれだけの律動を行っていたんだから当然の結果。調律にはちょっと手を焼かされたけど、それもこれまでってワケだな。……そろそろ潮時かい、魔女サン?」
「なめられたものね」
 少女は柄だけになった短剣を放り捨てると、自らの指で宙に十字を描く。その軌跡はすぐにも、先程と同じ青白い光を放ち始めた。
 少しだけ驚いた顔をしながら、男は突き刺さった剣を引き抜く。文言を叫びながら振り向き様に空を切ると、迫っていた見えない鎖を断ち切った。その勢いのまま少女に向かって駆け出す。距離は、三歩。
 少女は床板を強く殴りつけ、男との間に壁を作り上げた。しかしそれも見る間もなく霧散して、元の床へと姿を戻す。
「く……」
 目の前に男の姿があった。何の役にも立たないと判っているが、少女は咄嗟に後退する。
「さて、八竜神への祈りは済んだかい?」
「……ッ」
「オーケイ、ではこれで終わりにしようか、魔女サン?」
 男は今までとは異なる、少し長い文言を口ずさむ。まるで歌うように。
 少女の跳躍力は男のそれに及ばず、淡く光を放っている西洋刀の動きから逃れることはまず不可能だった。存在ごと霧散させるのであろうその一太刀は、もはや避けようがなかった。
 これまでかと思い、歯を食いしばる。
 少女の耳には空気ごと切り裂いて迫る西洋刀の音が聞こえた。
 しかし。

 ――ぽーん。

 その刀身が到達するよりも早く、しかしこの場の空気などまるで読む気のないような別の音が、耳に飛び込んできた。

 それはステージ上から響く――ピアノの音だった。


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