Zephyr Cradle

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Ragnarok Online Variations


砂塵のラプソディ(前篇) #1

 ルーンミッドガルツ王国も初冬を過ぎ、いよいよ本格的に冬の寒さが訪れる。
この国は温暖な気候帯に属していて、四季の変化がめざましい。
春は花が咲き乱れ、夏は葉が青々と生い茂る。
秋は色とりどりの紅葉が見られ、冬は厳しい寒さと雪がやってくる。
美しい季節の変化を観光目的として他国から訪れる冒険者も多い。
特に、ルーンミッドガルツ王国の北方にある同盟国シュバルツバルト共和国との国境付近では、
季節を問わず様々な目的を持った人で往来が激しい。
 王国の東側の海に面した、ここ臨海都市イズルードも例に漏れず寒さが街を覆う。
家々に備えつけられた小さな煙突からは無数の帯が立ち昇っている。
秋の間に揃えておいた薪を暖炉に放り込み、その厳しい季節を乗り越えるのだ。
一年を通じて温暖な気候とはいったものの、冬はやはり寒い。
朝は霜が降り、時には一メートル近く雪が積もることもある。
暖炉や魔力ストーブが無ければこの季節を乗り切る事は困難だろう。
 その寒気で海が凍り付いてしまうこともあるため、港はじきに閉鎖をする。
イズルードの港では、珍しい時には流氷をお目にかかることが出来る。
そんな冬の情景を一目見ようと訪れる奇特な観光客も少なくは無い。
 そういった自然現象は風流ではあるのだが、商売人にとっては迷惑極まりないのもまた事実である。
氷山や吹雪などの悪天候で貨物船が沈められでもしたら、被害は言うまでもない。
現に被害報告は未だに絶える事が無い。
 それを配慮し、イズルード港は冬の間閉鎖される。
交易による利益と被害額を秤にかけて船の利用が極端に減るからである
――かと言って陸路の交易が盛んになるわけではなく、単に物流量が減るというだけなのだが。
 港の閉鎖が近付いてくると、港は一気に活気づく。
今年最後の荷を積んだ商船の出入りが激しくなり、街も一年を通して一番賑わう。
この場合賑わう、というよりもむしろ慌ただしくなる、という表現の方が正しいかもしれない。
 首都プロンテラのお膝元に位置するこの街は、寒さを忘れて荷と人で溢れかえる。

 イズルードは商業で発展した都市である。
東に臨む大海原へと向かって開いた、王国一の港によって栄えてきた。
 それとは別に、この街にはギルド街と呼ばれる地区が存在する。
 意志を同じくする冒険者が結成する組織、それをギルドと呼ぶ。
王国はそのギルドを全面的に支援し、大きな功績を上げたギルドには様々な恩賞が与えられる。
恩賞の中の一つに、文字通りギルドの拠点となる、アジトの支給がある。
ギルド街とはそのアジトが多く集結する地区を指すのである。
王国各地の主要都市には全てそういったギルド街が存在するが、
イズルードにあるそれは国内最大級の広さを誇る。
ギルドを支援する政策を打ち出した当時、最初に指定された都市がイズルードだったという理由から、
今日多くのアジトが存在する街を形成するに至っている。
 ギルド街にはギルドアジトが所狭しと林立している。
名声の低いギルドは小さな長屋の一室程度のものだが、
上等なものでは庭付き二階建ての立派なものを与えられる。
 そういった上位ギルドのアジトは、街の中心部に近いところにまとめて建てられている。
他の冒険者を威嚇し牽制させる意図での配置である。
その職業柄、荒くれ者が多い冒険者たちはそれを見て心改める、というのが王国の考えたシナリオだったが、
それが効力を発揮してはいないだろうことは街の住民の目から見ても明らかだった。
王国騎士団は冒険者たちの治安維持に尽力しているが、未だ解決への道は見つかっていない。

 神と人間、そして魔族たちの戦争から千年。
人々は這い寄る悪しき混沌から目を背け、日々を安寧に過ごしている。


***


 海に面するイズルードでは殊に天候の変化が著しい。
夏は突然の雷雨に頭を悩ませられることが多いが、冬はそういった変化は緩やかになる。
天候が循環する一つのスパンが長くなり、比較的穏やかに過ごす事が出来る。
 今日は眩しいほどの快晴。既に一週間ほどこの天気が続いているので皆活動がしやすいというものである。
快晴とは言っても寒さまでは拭えないが。

 (くだん)の上位ギルドに属する『黄昏に染まる翼』のアジトでもゆったりとした時間が過ぎていた。
幅の広い窓からは三分の一ほど昇った太陽が集会室を光で満たしている。
このアジトは上手く採光がなされていて、夜も月明かりで暮らす事が出来る快適さだ。
 魔導士(ウィザード)ウィルアは備えつけられた木製の椅子に腰掛け、朝の珈琲をゆったりと満喫していた。
毎朝こうして珈琲を愉しむのがウィルアの日課になっている。
寒い冬は熱く温めてそれを飲み干す事により、眠たい朝の眠気覚ましになるのだ。
ツァイトも、今朝のプロンテラスクウェアを読みながらマグカップを傾けている。
張り詰めた一日の朝、ウィルアはこの空気がとても気に入っていた。
 集会室には現在、ウィルアを含めて四人が同じように朝の空気を味わっている。
王国騎士(ナイト)の位を持ちながらにして、何の因果かこのギルドに属しているゲイン。
アマツ出身の一風変わった気風の持ち主である狩人(ハンター)、シュウ。
そして教会の聖職者(プリースト)の位を授かり、このギルドのリーダーを務めるツァイト。
ウィルアが部屋で目を覚まして階下のこの集会室に降りてくると、常にこのメンバーである。
 今日もゲインは王宮勤務らしく、既に鎧を着込める状態まで準備が整っていた。
王国騎士の纏う鎧は動きやすく可動部分が多く取られており、胸には翡翠色の双頭の鷲が描かれている。
さほど身体の大きくないゲインが纏うと実に良く似合い、貴族の風格が見られる。
 ゲインが何故冒険者ギルドなどに属しているのか、ウィルアは知らない。
王国騎士といえば貴族の一員に数えられる程厳格な地位である。
騎士たちは独自の組織を持つ。
冒険者たちはこれを騎士ギルドと呼んでいるが、彼はそこに属さずこの『黄昏に染まる翼』に身を投じている。
ゲインとツァイトはギルド結成以前からの付き合いだということは聞いていたので、
おそらくそれが理由だろうとウィルアは思うことにしている。
 シュウは台所で手際よく朝食の準備をしている。
シュウは男性でありながらもその黒い髪を腰辺りまで長く伸ばし、
アマツ特有の衣服である袴を着ており、その出で立ちは人に優雅な印象を与える。
このギルドメンバーの中では最も異質な雰囲気を醸し出していると言えよう。
「あ、そういえば」
 台所で作業をしていたシュウは思い出したように振り返った。
にこやかなその笑顔はまるで子供のように純粋である。
 ウィルアはシュウと思わず目が合った。
「どうしたの?」
「その珈琲は自分がゲフェンの方で買ってきたんですが、お口に合ったかと思いまして。
 どうですか、お味の方は?」
 ウィルアはマグカップを鼻の近くまで寄せて、改めて匂いを嗅ぐ。
珈琲に似合わず甘い匂いが強く、しかし実際飲んでみると甘さは砂糖を入れずとも丁度良い味である。
「なんだか不思議な香りがするけれど、味はとてもいい味ね」
「シュウも相変わらず物好きだよな。遠出の度にこうやってお土産買ってきて。
 この前はアルベルタでアマツ産の木彫り物を買ってきたと思ったら今度は珈琲だ」
 ゲインが笑いながらウィルアに続いて言う。シュウも笑いながら答える。
「異国の地では何でも珍しいものなのですよ。
 もっとも、あの熊の置物は故郷が懐かしくなって買ったんですけどね」
「やっぱり、こっちの文化や風習というのは珍しいものなのかい?」
「そうですね、ゲインさんも天津に来てみればきっと判りますよ。
 色々と衝動買いしたくなります。
 天津とこちら此方では随分と文化が違いますからね」
「一度は行ってみたいのだけどね、アマツにも。
 生憎と、騎士というのはあまり休暇が多くない職業なんだよ。
 こういうときは騎士であることを本当に残念に思う。……不謹慎かな?」
 ゲインは苦笑しながら言うと、ついでに珈琲の代わりを所望した。
シュウが手元にあったポットを持ってゲインのマグカップへと注ぐ。
「見聞を広める事は良い事だと思いますよ。不謹慎だなんてことないですよ」
「王宮で口にしたら何を言われるか判らないがな」
 そこで口を挟んだのは今朝のプロンテラスクウェアから顔を上げたツァイトだった。
 日の当たる場所に椅子を構えて読んでいたが、どうやら読み終わったらしい。
 文字の細かい書類を読む時にかけている眼鏡を外すと、その新聞を丁寧に折りたたみ無造作に机の上へと放った。
澄んだ焦げ茶色の髪が日の光に照らされている。
 ツァイトは部屋を見渡すと呆れたように呟いた。
「…なんだ、イフェルはまだ布団の中か?」
 ウィルアは溜め息をつきながら答える。
「暖炉に火も入ってることだし、朝食の匂いを嗅ぎつけてそろそろ降りてくるんじゃない?」
「…起こしてきましょうか?」
「そんなことしなくてもいいわよ、シュウ。
 どうせあの娘のことだから、寒いーとかなんとか言いながら降りてくるわよ」
 そんな話をしていると古木の擦れ合う音が二階から聞こえてきた。
更にがちゃっ、と木製の扉が閉まる音が聞こえてからしばらくすると階段を降りる足音がした。
一歩一歩身体を重そうに引きずりながら降りてきたのは、まだ幼さの残る顔立ちをした少女だった。
 毛布に包まって眠そうな目をこすり、のろのろと暖炉に一番近い席に座った。
「うー、寒いー……」
 集会室にようやく降りて来たと思ったら第一声がこれである。
「……ほら」
「……本当ですね」
 シュウは小さく微笑んだ。
 冬らしい寒さがイズルードに下りてからもう二週間が経ち、
寒がりなイフェルのこの性格に少しは慣れてきたつもりでいたウィルアだったが、
やはりどうも慣れ切れていないのかこれを見るたびに溜め息が出る。
 イフェルは根っからの常夏少女らしく、暖かい気候でなければ気力が出ないのだ。
夏はあんなにも活発的だったのが、この時期はこうやって毛布に包まったまま朝会に現れる。
これがかなり格好悪いので当初は止めるようにしきりに訴えていたが、
今ではもはや怒鳴る気力も失せて黙認している状態である。
黙認というよりは呆れに近いかもしれないが。

 このギルドは初の冬越えになる。
結成当時は勢力的に魔物退治をこなし、王国に高い評価を頂いた。
その評価の結晶がこの大きなギルドアジト。
二階建てで、メンバーの部屋は実に十もある。
このアジトを支給されて以来、このギルドはイズルードに腰を据えて、以前よりはやや地味な活動を続けている。
 冒険者の集団ではあるが、このギルドはどちらかというと『なんでも屋』と言った方がしっくりくる。
冒険者が集う酒場に通って仕事を探したりするのが通常だが、
彼らの場合はアジトで依頼が来るのを待つという形をとっている。
 元は皆冒険者の出身なのだが、アジトを賜ってからずっしりと居を構えてしまった。
結成当時に響き渡ったその名声が今でも残っているらしく、こうやって何もせずとも依頼が来る。
今でも冒険者として渡り歩いてるのはシュウくらいなもので、
ゲインは王宮勤務で忙しく、ツァイトは教会に通うことも出かけることも少ない。
 このギルドがこうも緩いのはこの体制の所為かもしれない。
「普通、朝の挨拶はおはようとかだと思うんだけど」
 微笑みながらそう突っ込んだのはゲインだった。
 ゲインはギルド結成以前からイフェルとも交流があったため彼女の性格は完全に把握している。
この、人懐っこい割には寒がりな性格に臆することも呆れることも無く自然に流した。
イフェルもその対応には慣れている。
「あー、うん、おはよ、ゲイン。
 それでも、寒いって言いたくなるのはわかるでしょ?
 この寒さは異常だよ……」
 この時期この街では異常でもなんでもないのだがイフェルには異常らしい。
今日も例に漏れず毛布に包まりながら登場し、がたがたと震えながら椅子に座る。
 その目の前のテーブルに、シュウが紅茶の入ったマグカップを置く。
白い湯気とほんのり甘い匂いが部屋に漂った。
「ん、ありがと」
「ゲフェン産の特別な茶葉を使いました。
 微量ながら火属性の魔法の粉が配合されているらしく、甘さも丁度良いのでお口に合うかと思います」
 それを聞くとイフェルは少し顔をほころばせて、マグカップを両手で覆う。
手先をゆっくりと暖めた後、その中身を口の中へと滑らせた。
「うわ、おいしー」
 イフェルは喉を潤しながら一気に飲み干し、ほっと一息つく。
毛布に包んでいた足を伸ばして暖炉の前へと出すと、冷えていたつま先を暖めた。
 暖炉の火は赤々と燃え、部屋の温度を外気より幾分も過ごしやすく保っている。
しかし冷気というものは低いところを這う性質があるらしく、暖炉の力だけでは足元まで温まらない。
 火にくべられた薪が一つ、ぱきっと軽い音を立てて折れた。
無数の火の粉が炉の中を舞い、またすぐに消えていく。
ゲインは椅子から立ち上がり、部屋の隅で小さな山を作っている薪の中から数本を取り出して炉の中へと放り投げた。
かららんと木のぶつかり合う音が響く。
「そういう土産もいいが、自室の整頓にも力を注いで欲しいのだがね、シュウ」
 珈琲を飲み終えるとそう訴えながら、ツァイトは書類の棚へと向かう。
何かを探しているのだろうか。
 シュウはツァイトの弁を聞いて、やや真剣な眼差しで答える。
「失礼ですね、あれは一定の秩序の元に整頓されているのですよ。
 部屋にある家具の位置から最も美しいレイアウトを割り出し、並べてあるのです。
 利便性と活用性を重視してとても緻密に考案されたものなんです」
「……いや、あれは普通散らかっていると表現すると思うが……。
 なんでもベッドから手の届く位置に置きたい気持ちはわかるが、少しは整理くらいしてくれ。
 ……見るに堪えない」
「ツァイトさんにはあの秩序が解りませんか」
「残念だが、さっぱり」
「仕方ありませんね、別の方法を考えておきます」
 そのやりとりを見ていたゲインは思わず吹き出していた。
イフェルもクスクスと笑っている。

 ウィルアは笑うというよりも呆れるという色のほうが強かった。
つくづく無駄な趣味や癖を持っている者ばかりだと思う。
下らない、とは思わないまでもどうも慣れることが出来ない。
冒険者に大事なのはこんな戯言や妙な拘りではなく、適切な判断力と行動力ではないのだろうか。
自分に冒険者のなんたるかを教えてくれた師はこうではなかったと思う。
 こういった雰囲気は何か違うはずだと思う。
冒険者はこうあるべきではない。
もっと生死に敏感で、常に我が身を危険に晒しながら強く生きるものではないのか。
常に己を磨き、自由を探求し、人生の宝石を見つけ出すのが冒険者だ。
 この仲間達が嫌いなのではなかった。
ただ、彼らは冒険者としてあるべきでないのだ。
必要以上に和み、馴れ合い、触れ合うことは、仕事だけの付き合いである者には不要。
下手に情が移ればその所為で命を落としかねない。
そういった付き合いが出来ない彼らと自分は釣り合うわけが無いのである。
 ここは冒険者のギルドとは呼べないのだ。
人々が憧れてきた冒険者の姿ではない。
ただ普通の、どこにでもある『なんでも屋』だ。
最近一人で酒場に寄り、魔物退治の仕事などを引き受けることが多いのもここに起因する。
潤いを求めているのかもしれない。
自分を肯定する術を探しているのかもしれない。
このままでは人生を賭けた決断が無意味になってしまうからかもしれない。
 だが、いくら一人で仕事をこなせたところで満足したことはまだ無い。
刺激が足りないのか。それとも、ぬるま湯のようなこのギルドに帰ってくることが悪いのか。
 ウィルアは未だにその明確な答えを見つけ出せていない。

「あ、でもイフェルさんの部屋の方こそ、相当片付け甲斐が在ると思いますよ」
 シュウが思い出したかのように呟くとゲインが同意する。
「あー、確かに。
 もうなんでも放って散らかしていかにも片付けるのが面倒臭いって部屋だよねえ。
 あ、本人の性格がそうなのか」
「う、うるさいよ、そこ!」
 イフェルが顔を真っ赤にして叫んでいるが、まだ毛布に包まったままでいるために迫力も何もあったものではない。
 ツァイトは棚から目的の筒を見つけるとそのやりとりを制止した。
「雑談は一旦打ち切ってくれないか。
 一応今日は依頼が来ているんでな、それに関する話し合いをしたい」

 ツァイトは昨晩受け取ったその依頼書を皆の囲むテーブルの上に広げた。
とても整った材質の表面に金色の箔が乗った派手な装飾の紙に、流れるように美しい文字が芸術品のように描かれていた。
モロクに居を構えるスペサルティンという裕福な豪商からの依頼だった。
イズルードで輸入した物資をモロクの邸宅まで運ぶ、その護衛。
到着後、更に数日の雑務をこなすこと。
 イズルードからモロクまでは大した魔物も襲ってこないが、
その道程は一週間ほどかかり、護衛が居なければやはり心許ないのは拭えない。
 雑務の手伝いまで依頼するとなると、ごろつき同然の冒険者を募ることは気が引けるため、
こうして功績のあるギルドにすがる方がより安全である。
「雑務ってのが気になるね。なんのためにそんなことまで頼むんだろう?
 大きな家なんだから召抱えのお手伝いくらいいると思うんだけど」
「確かに、それは気になるわね」
 ウィルアもそのゲインの考えに同意する。
ある程度裕福な家は召使いを抱えているのがこの国の常識である。
豪商ともなれば数人は雇っているのが普通であり、二人の疑問はもっともだと言える。
 それについては、直接依頼を受けたツァイトがコメントをする。
「俺もそれについては疑問に思ってな、エージェントに問いただしてみた。
 曰く、抱えていた召使いが全員行方不明になったらしい。
 ある日忽然と姿を消したそうだ。
 屋敷の中を探索しても見つからなかったという。
 それで仕方なく、新たな者を雇う方針になったそうだが、
 採用まで人手が足りないそうでな、護衛ついでに頼まれてくれないかという事だ」
「僕たちは人材派遣を生業にしているわけじゃないんだけどなあ」
 ゲインが苦笑しながら言う。
「……でも、実際やってることは人材派遣みたいなものだからしょうがないか」
「ゲイン、そんな言い方はないでしょ……」
 開き直られると、ウィルアもどう言えばよいのか分からなくなる。
一番気にしていたことをこうもあっさりと肯定されると立場が無い。
「それにしても、匂いますね」
 そう静かに呟いたのはシュウだった。
ツァイトも同じ考えをしていたらしく、難しい顔をしてそれに頷く。
「ああ。シュウもやはりそう思ったか。
 スペサルティン氏は何らかの事件に巻き込まれている可能性があるな。
 ……下手に首を突っ込まない方が懸命だろう。ここは丁重に断って……」
「え? 断っちゃうの?」
 依頼を引き受けないという方向にその場の雰囲気が固まってきていたその時に、
それを打ち砕くかのように不満の声を漏らしたのはイフェルだった。
「皆が嫌ならあたしが引き受けるよ。うん」
 その言葉にメンバー皆が耳を疑った。
この状況、そして彼女の性格から察して誰もが予想だにしていなかった言葉だった。
普段から雑務などの作業が苦手で、そういった依頼を毛嫌いしているイフェルが率先して引き受けようなどとは考えられない。
 皆の視線が一点に集中し、最初に口を開いたのはゲインだった。
「イフェル……」
「な、何?」
「……今回はどんな悪い物食べた?
 それともさっきの紅茶にやっぱり何か妙な成分が」
「ゲイン……、あたしはいつでも真面目に言ってるんだけど」
 イフェルが膨れてみせる。少しの間の後、羽織った毛布を少し寄せながら言葉を繋ぐ。
「だって、言われた報酬って五万ゼニーでしょ?
 こんな楽な仕事で五万も貰えるなら儲け物じゃん。
 モロクならあったかいとこだし作業もはかどると思うし……。
 皆は他のお仕事で忙しい人もいるだろうからさ、あたしが引き受けるって、うん」
「イフェル……そのあったかいとこが目的だってバレバレよ」
 ウィルアは溜め息をつきながら横目でイフェルを睨んだ。
イフェルならそれが目的だということは容易に想像がつく。
砂漠の真っ只中にあるモロクをあったかいと表現するのも考え物ではあるのだが。
 イフェルは反論しようと試みたがツァイトがそれを制した。
「……イフェル、その高額の報酬というのも怪しい。
 護衛と雑務で五万というのはやけに割高だ。
 疑ってかかったほうがいいだろう」
「リーダーは疑い過ぎだよ。
 あたしはそんなに問題じゃないと思うけどな。
 それに、人手が足りないなら手伝ってあげなきゃ、でしょ?」
 ツァイトは腕を組んだまま目を伏せた。
小さく息を吐き出すと、既に丸めてあった依頼書をイフェルに放った。
「今回の依頼には二、三人で充分だと書いてある。
 全員で行く必要もないからな、引き受けたければ引き受けてくるといい。
 ただ注意と警戒は怠るな。
 今回ばかりは何が起きるか分からない」
 依頼書を受け取り、ツァイトに後押しされるとイフェルの顔には笑顔が浮かんだ。
威勢の良い返事をすると依頼書を広げ、中身に目を通し始めた。
 やや嫌われ口に聞こえるが、これでもツァイトなりに個を尊重しているのである。
不器用ながら、一ヶ月前の事件で少し変わったようにも感じることができる。
ウィルアは二人の様子を見ながらそんなことを考えていた。
 そこで難しい顔をしながらツァイトへと食いついたのはゲインだった。
「ツァイト、そんな安請け合いしちゃって大丈夫なのかい?
 断ろうって雰囲気になったのをいきなり覆して……」
「警戒を怠らなければ問題は無いだろう。
 ここまであからさまだと引き受ける気がしないだろうと思っていたが、
 それでもやりたいと言うならば止めはしないさ」
「それは、そうだけど」
 そう言われてもゲインは不安を拭い切れない。
ここまで怪しさを振りまいている依頼をはいそうですかと引き受けるのは如何なものだろうか。
命に関わるような大事になるとは思えないが、――何かが引っかかる。
「ところでツァイトさん、イフェルさんの他には誰が行くんですか?
 ゲインさんは王宮の仕事があるので動けないですから、矢張り自分とウィルアさんが……」
 ゲインが一人で唸っている間に、シュウが残りの事項をまとめる。
「いや、イフェルとウィルアの二人で充分だろう。
 二人の能力はちょうど良くバランスがとれているからな。
 それに」
「それに、何です?」
「シュウに雑務などやらせた日にはどうなるかわかったもんじゃない」
「……まぁそういう事にしておきましょう」
 そのやりとりの後、ツァイトは決定した内容を総括し再度確認をする。
相談の結果、イフェルとウィルアが依頼を引き受ける事。
内容はモロクまでの護衛と数日の雑務。
報酬金は前金二万を含めた五万ゼニー。
明朝日の出にイズルード南西の門にて落ち合う事。
その際は依頼書を持参し身分証明とする。
 メンバー五人は頷き、各々の頭の中へと記憶させた。
このギルドのメンバーは七人なのだが、実際に依頼を引き受ける役割を担っているのはこの五人。
首都プロンテラにて買取業に勤しむ商人(マーチャント)アルティと、
普段から行動が把握し切れない暗殺者(アサシン)キーツの二人はアジトに戻る事すら少ない。
したがって大抵の依頼はこの五人で捌いてしまう。
「つまり私はイフェルの見張りとお守りってわけね」
 ウィルアが嫌味っぽく言うとイフェルが毛布の下で少し萎縮する。
「そんな言い方しなくったっていいじゃん……。
 ウィーちゃんもお仕事とかしてないから暇でしょ?
 だからそー言わないでさ、ね、ね?」
 毛布の中で手を合わせながら、イフェルは必死に頼む。
乞食のようにも見えるその姿はなんだか滑稽で思わず笑みがこぼれるのだが、
今日はどことなくそんな余裕のない雰囲気がそこにあった。
 ツァイトはその妙な空気に気付いたが黙したまま様子を伺っていた。
「皆で決めた事だから、そんなに拝まなくたってちゃんと行くわよ。
 イフェルとの付き合いも長いし、扱い慣れてるのもあるんだから責任持ってやらせてもらうわよ。
 イフェル一人じゃ心許ないんだから」
「『扱い』とか言わないでよねー。物じゃないんだからさー。
 ……うん、でもウィーちゃんいると心強いし、よろしくね」
 イフェルが笑顔を向けるとウィルアも苦笑いのような笑みを返す。
ツァイトが先ほど感じた息苦しい空気はいつのまにか過ぎ去っていた。

 ほっと一息つき、ツァイトはシュウに紅茶のおかわりを注文する。
妙に慣れた手つきでティーポットを傾け、ツァイトの髪と似た色をした甘い匂いのする液体をカップへと注ぐ。
澄んだ焦げ茶色をした魔法の紅茶は日の光をきれいに反射する。
ツァイトはそれを口元へと運び、一口飲んだ。
舌触りは滑らかで、口の中でとろけるように甘味が広がる。
そして身体が少し暖まるような感覚を覚えるのは、ここに入っている魔法薬の所為だろう。
 朝日はすっかり角度を付け、澄んだ青空が広がり始めていた。
しかしこの寒さが和らぐまでにはもう少し時間がかかるだろう。



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