Zephyr Cradle

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Ragnarok Online Variations


驟雨のレクイエム #1

「はぁっ……、はぁっ……!」
 雨の中、足をもたつかせながら駆ける影があった。
澄んだ焦げ茶色をしているはずの髪も今は雨と泥で汚れている。
それは髪だけでなく身体を纏う服から肌まで同じように染まっている。
いや、彼を濡らしているのは雨と泥だけではない。
右上腕を押さえる左手の指にはどす黒い紅色の液体が滲んでいる。
その液体はこの雨の所為で土へと洗い流されていくが色が消える様子は全く無い。
 天候、時刻、場所、そして運。全ての要因が悪い方へと傾いていた。
この雷雨の中、目的地が近いとはいえ森を突っ切ることは容易ではなかったのだ。
しかも出発したのは夕刻。日が沈めば魔物の活動が活発になることは周知の事実。
全ての運に見放されていた。
…いや、そうではない。自分たちが愚かだったのだ。
しかし彼がそれに気づいた時には最早手遅れだったのだ。
もう取り返しのつかないことになってしまった。
―――彼は全てを失った。

 逃げるしかない。その時、何かを考えられるほどの余裕はなかった。
 雷鳴が木霊した。


***


「ただいまー…」
 木製の扉が軽い音を立てて開くと、より一層潮の匂いが強くなる。
その匂いと共に入ってきたのはまだ十代半ばくらいの少女。
「あ、イフェル。おかえり」
 イフェルは両手で抱えていた荷物を机の上に下ろすと椅子にどかっと座り大きく息を吐いた。
勢いのあまり椅子が軋む。その様子を見ていた金髪の青年は苦笑した。
おかえりと言った彼は今年で二十歳になる若者だ。
「おかえり、とか呑気に言うけど…、ゲイン、
 そんなに暇そうにしてるなら少しは手伝ってくれたってよかったじゃん…」
「無茶言うなよな、僕も今帰ってきたところなんだから。
 そういえばウィルアと一緒じゃなかったの?」
「もう少し露店を見てから帰るって。残りの荷物はまだウィーちゃんが持ってるよ」
 机の上に無造作に下ろされた紙袋の中には野菜やパンなどの食材が入っている。
イフェルはこのギルドの中では二番目に若いのだが力は人一倍ある。
王国騎士(ナイト)の位を持つゲインと腕相撲して互角以上の勝負をするほど腕っ節は強い。
しかし非戦闘時にはこういった荷物持ちをさせられるという運命を辿るわけだが。
「そうやって呑気に読書してるならリーダーも手伝ってくれればいいのにぃ…」
 イフェルの視線の先には窓辺で優雅にページをめくるリーダーの姿がある。
聖職者(プリースト)特有の黒い衣装に身を纏い、その澄んだ焦げ茶色の髪を潮風に晒している。
イフェルとゲインの視線に気付き彼は視線を上げた。
「何度も言ってるが、俺はここをそう易々と離れるわけにはいかないんだ。
 住民や仕事がいつ転がり込んでくるか分からないのだから、
 常に皆と連絡が取れる位置に居なければならない」
「うー…、それは分かってるんだけどさぁ…」
 イフェルは言い返す言葉が見つからずしょんぼりと沈む。
その何度目になろうかというやり取りを、ゲインはまたも苦笑する。
 そういえば、とゲインは訊ねる。
「ツァイト、他の面子は?」
「いつも通りアルティは戦利品の処理。シュウは狩りだ」
「今日の夕飯は前回の時よりも豪華になりそうだなぁ」
「ああ」
 ゲインが嬉しそうな声を上げるとリーダーもつられて微笑を浮かべた。
 ―――ツァイト。それがこのギルドを仕切るリーダーの名である。


***


 夏もとうに過ぎ去り、今はもう秋真っ盛り。
露店に立ち並ぶ野菜や果物も季節物に入れ替わった。
 ここ、衛星都市イズルードは秋に入っても人通りが減ることは無い。
港では毎日のように商船と定期船が入港し、荷と人を大量に街へと流し込む。
その大半は首都プロンテラへと流れていくのだが、その過程で必然的にイズルードの街を潤す。
付け加えるならば、人魚が出るとの噂があるバイラン島へもここの港を用いなければならない。
首都に近く、一通りの店が揃っていて不便が無い。
 そんな利点から、街の南側はギルド地区となっている。
 ギルドとは冒険者が宿と仕事を共有しお互いに支え合う組織のことを指す。
街を転々としながら一人で世界を渡り歩くことは容易なことではない。
どこかに拠点を置いて依頼の量を安定させることが出来るのがこのギルドという制度である。
冒険者と呼ばれる者の半分はギルドに所属し生計を立てているのが現状だが、
やっていることはといえばほとんどがいわゆる『何でも屋』であるのも否めない。
傾向としては各国を放浪することに飽きた者や、仲間と共に戦うことを好む者が多い。
また、魔術師ギルドや暗殺者ギルドなどといった類のやや主旨の異なるものもまれに存在する。
 ギルドは戦績によって様々な特権を王国から与えられる。
その特権のひとつにアジトの提供がある。
アジトの規模はその戦績によって違う。
数多あるギルドのほとんどは長屋の一室を事務所として支給されるが、
戦績が優秀なギルドや名声のあるギルドは一戸建てを丸々使うことを許される。
ギルドメンバー全員の寝泊りが可能なほど大きなアジトを優遇されるものもある。
アジトの大きさはそのままギルドの質を表現しているのだ。
 その一戸建てを支給されたギルドの中に彼らのギルドもあった。
聖職者ツァイトをリーダーとするギルド『黄昏に染まる翼』。
それが彼らである。

 この国で唯一城壁の無い、この都市の街外れで彼らは火を囲みグラスを掲げていた。
日はすでに沈み、辺りはすっかり暗くなっていた。
幸いこの街の周辺で出くわす魔物はポリンやファブルといった雑魚ばかりなので、
街外れでバーベキューを楽しむこともなんら問題は無い。
「―――乾杯」
「かんぱ〜い!」
 抑揚の乏しいリーダーの声を気にしていないかのようにメンバーは威勢良くグラスを鳴らした。
そして各人、一気に中身を飲み干す。
 先日、彼らのギルドにひとつの依頼が飛び込んで来た。
ピラミッドを巣食う魔物の一種であるイシスの鱗を収集してきて欲しいのだという。
覚醒剤を調合する際の材料になるのだといって薬剤師が依頼をしてきたのだ。
彼らは快くそれを引き受け昨日、モロクの西に聳えるピラミッドへと挑んだ。
メンバーはツァイト、イフェル、ゲイン、ウィルア、シュウの5人。
バランスの取れた面子とチームワークで、依頼人を驚かせるほどの鱗を回収した。
大いに満足した依頼人は大枚の報酬を彼らに支払った。
そのミッションの打ち上げが今夜のバーベキュー、というわけである。
 それにしても、と長い黒髪を垂らした青年は口を開いた。
(オシリス)に出くわさなかったのは本当に運が良かったですね。
 もし出会っていたら自分たちが今ここで笑っていられたかどうか…」
 それを聞いたイフェルはその青年の背をばしっとはたく。
「シュウ、今そんな話をしないでよねー」
「そうですけど…」
「それに、」
 と言いかけたその無邪気な顔を4人は見つめた。
「それに、あたしがいればそんな包帯野郎、指一本で倒せるって」
 ゲインは思わず吹き出して、大声で笑った。シュウも苦笑いをしている。
普段から表情に乏しいツァイトですら笑みを隠し切れていない。
「あはははははは!」
「ちょっ…何よ皆して笑っちゃって!」
 イフェルの丁度隣に腰を下ろしていたすらっとした女性が苦笑しながら言う。
「イフェル…。私は、指一本で倒されるのはあんたのほうだと思うよ…」
「ウィルアまでそんなこと言うー!」
 半ば呆れ顔になったウィルアにゲインが手を上げて同意する。
「あ、それ僕も同意」
「俺も一票入れよう」
「自分も入れます」
「ちょっと!勝手に投票しないでよー!」
 ゲインは再び腹を抱えて笑った。相変わらずイフェルは膨れたままである。
そんな他愛も無い話をしながら時間は過ぎていった。

 街は徐々に活気を失い、気付けば家々の灯もほとんど落とされていた。
もうすでに深夜を回っただろうか。
 見上げると空は満天の星空である。
手を伸ばせば届きそうとはまさにこのことだろう。
街外れのこの丘から見下ろすイズルードは殊更美しい。
海を臨むこの街は石造りの建築が主流であるため、
昼間は真っ白な街並みに青い空が一望でき、夜は暗い海と満天の空を満喫することができる。
シュウが見つけたこの場所はメンバーの第2のアジトだった。
 彼らが囲んでいる火も今はすっかり勢いを失っている。
焚き木はパチパチと小さな音を立てて残りの枝を燃やし尽くす。
「そういえば、初めて騒いだのもここだったっけ」
 つぶやいたのは斜面に身体を投げ出しているゲインだった。
木に身体を預けて星空を見ていたウィルアが応える。
「そうね。もうあれから半年経ったのね…」
 感慨深そうに言う彼女にシュウが続ける。
「そうですね。あの頃は、
 まさかこのメンバーでギルドを組むことになるだなんて思ってもみませんでしたね」
 5人が出会ったのは今年の春先のことだった。
偶然にも同じ依頼を受けた彼らはパーティを組み、
初対面の者同士とは思えないほどのチームワークで依頼をこなしたのだった。
それ以来たびたび顔を合わせては仕事を引き受けて有意義な時間を過ごした。
「ギルドを結成しないかと言い出したのは誰だったか」
「あ、それあたしー」
 ツァイトはイフェルの返事を聞いて顔を覆った。
「そうか、これはイフェルの陰謀だったな…」
「うわ、なにそのうらめしそーな言い方…」
 ある日、オーク村のダンジョンからエンペリウムを持ち返った一同は、
それをどの買取屋へ売り払うべきか相談していた。
その金色に輝く結晶はギルド結成を王国に申請するために必要な鉱石なのだ。
勿論、エンペリウムを手に入れるということは容易ではないのだが、
彼らは運良くそれを手に入れ、無事持ちかえったのである。
その時、折角だからギルド作ろーよと言ったのはイフェル。
一同は一瞬戸惑ったが、それも良いかもしれないと、ギルド結成に踏み切ったのだった。
「俺をリーダーに推したのも確かイフェルだったよな…」
「だって結構仕切り屋さんだしさ」
 イフェルの言い草にゲインは苦笑した。
「確かにあの頃からそうだったよな、ツァイトは」
「お前たちが頼りないから自然とそうなったんだ」
 シュウはツァイトを振り返る。
「でも結構気に入っているんじゃないですか?一度も嫌がったことないでしょう」
「お前たちの誰かに任せるよりはマシだ」
「うわ、ひっど」
 イフェルが笑う。
「それでも、まさかあんなに大きなアジトがもらえるまでになるとは思わなかったね」
 ウィルアが言うと皆それに頷いた。
 彼らのアジトは二階建てという豪勢なものだ。
一階は事務所だがそれだけでも広く、集会室の役割を果たせる。
さらには台所までついているというのだから文句のつけようが無い。
二階は10人分の寝室が設けられていて、宿屋でも経営出来るんじゃないかと思わせた。
新しいアジトに移れと言われこのアジトに案内された時は流石に驚きの色を隠せなかった。
現在、まだ空き部屋があるもののメンバーは少しずつ増えていた。
「…僕たちは、強くない。けれどあんなに大きなアジトを持っている。
 その事に不満を持つやつもいるって、王城で聞いたよ」
「言いたい奴には言わせておけばいい。
 俺たちは俺たちのやれる事をこなしているだけだ」
 そうだな、とゲインが言うとツァイトは組んでいた腕をほどき態勢を起こす。
「―――そろそろ引き上げよう。もう時間も遅い」

 ツァイトが動くとそれに合わせて4人も腰を上げる。
火は俺が始末しておくと言うとツァイトは他の4人を先にアジトへと帰らせた。
 …ふと右の上腕を押さえる。
あの時の傷はまだ癒えない。
今も身体と心を蝕み続ける傷。
あれから随分と時が過ぎたというのにまだこうやって疼く時がある。
―――罪を忘れさせない為なのか。
それとも。
―――今すぐ罪を償えと言うのか。
忘れたことは、無い。
一生をかけても償い切れない罪だ。
だが。
自分は今もこうして新たな仲間と共にいる。
再び同じ過ちを犯さぬとも限らない。
 だから常に距離を置いていた。
時々つられて馴れ合ってしまうこともあるが、それも自制している。
あいつらを傷付けたくはない。
またあの惨劇を繰り返したくはない。
その願いだけが、今の自分を支えているのだと悟っている。
自分の心底を知ったとき己を軽蔑したが、それは最早関係無い。
―――命を賭してでも、彼らは死なせない。
それが彼らへの唯一の餞だと信じて。

 既に鎮火の兆しを見せている火に軽く土をかけていると、不意に背後に気配を感じた。
身体をひねり背後の存在を確認しようとしたその時、声がかけられた。
「動くな」
「―――っ!」
 声はほとんど頭の後ろから発せられているようだった。
声は低く、そして淡々とした調子で語りかける。
この時間にしかも気配を消して近付くことは容易ではない。
「…何者だ」
「…」
 返事は無い。
背後の存在から息遣いは聞こえない。
「三日後のこの時間、王国共同墓地の先にある誓いの木に一人で来い」
「…行かなければどうなる」
「あの仲間たちの命は無い」
 先に帰らせた彼らの姿はもう見えない。
息を呑んだ。
まるで心を読まれたかのようだった。
事実、読まれていたのかもしれない。
だが真実は分からない。
「これはリュケの意志だ」
「な…」
 今なんと言った?…リュケ?
そんなわけがない、あいつはあの時―――
「お前に拒否権は、無い」
 瞬間、背後の気配がふっと消えた。
咄嗟に振り返るがそこには暗い林があるだけだった。
足元の燃え滓からは細く白い煙がまっすぐに延びている。
その白い筋を眺めながら、ツァイトは拳を強く握り締めた。



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