リレー小説企画1

far away

#7 戦いの狭間で

 景はふらふらとよろめきながらこちらへと向かって歩いてくる。
あの老人と取り巻き達が妨害をするかと思い身構えたものの、何やら茫然自失としていてその様子はないようだ。
「景!」
 ちらりと横目で安綱を見やり、一つ頷くのを確認してから弟の元へと駆け出した。
 距離はそうない。駆ける必要があるほども間は開いていなかったのですぐに弟の姿が徐々にはっきりと見えてくる。
夜の暗い体育館で、光源は空に妖しく輝く満月だけ。
着ているのはまだ学生服だったところを見ると家に帰って着替える前にこちらに連れてこられたのだろう。
見える景の表情は何かの思惑を湛えて歪んでいるようだったが、こちらに気付くと考えるような表情をした。
「景、大丈夫か?」
「特に痛いところとかは無いけど、少しだけ体が重いかもしれない」
 外傷がないだけでも安心した。
 ほっとしたのも束の間、景が戻ってきたのは嬉しいがそれを悠長に喜んでいる場合ではない。
景は見上げるようにこちらとあの白い老人の方とを見比べた。
老人は何かを考えるようにぼんやりと月を眺めている。
「それで……これは一体どういう状況なのさ」
「はあ、そんなのこっちが訊きたいくらいだよ、今日はもうさっぱり訳のわからないことばかり起きてる」
「そんな愚痴はどうでもいいから、まずこの状況を説明してくれない? 手早く」
 この現実主義的な考えの弟はこういう時に引っ張ってくれるので頼りになるにはなるんだけど、
残念ながらこの状況を説明できるほど自分も理解してるわけじゃない。
 もともと安綱に用があるとか言われて駅前まで連れてこられて黒い犬と戦わされて、
そこで出会った「未来視眼」の女性に景が危ないとか言われたから学校ここに来たというだけ。
まさか佐光が居たり妙な白ずくめの連中が居たりするだなんて予想もしていなかった。
 何故だか良く判らないまま老紳士の儀式は始まり、そして失敗に終わった(んだと思う)。
結局のところ何が目的で何故景がさらわれたのかは自分にも判らないし、そもそもこの白い集団が何者なのかも良く判ってない。
安綱がそれらを教えてくれるような気配もないし、訊けるような暇も無かった。
 だから正直なところ、状況説明と言われてもただ流されるままここに至った訳で、
「兄貴、それで十分だよ」
「は?」
 呆れた表情で盛大にため息をついてから、景はなるほどとあの紳士を見つめている。
 いつものことだから、自分が思考していた内容を「読心眼」で読み取ったのだと思うけど、どうにも腑に落ちない。
今考えていたことの何処が状況説明になっているのだろう。
「ボケてる暇があったら早く逃げる準備した方がいいよ、兄貴」
「景の言う通りだな。おことらは早急に逃げる算段をせよ」
 背後の低い位置から今日出会ったばかりの少女の声が聞こえる。
すたすたと歩み寄ってくるとこちらをあっさりと追い越して老紳士との間に割って入った。
いつの間にやら景の事まで呼び捨てにしている安綱は、袂から例の御札を取り出す。
「どういう意味だよ、安綱」
「どうもこうも無い。これ以上はおことらのような者たちには荷が勝ち過ぎる。その娘を連れて早々に立ち去るが良い」
 多分、にらめつけるような視線を投げかけていたと思う。
安綱のほうはと言えば何の悪びれも無く、ただ老紳士の方へと向き直って対峙している。
「勇敢なものですな、黒の巫女よ。いや、今は元巫女ですか。
そうやって異端者たちをかき集めて戦力をつけているということは、やはり仲間を裏切ったという噂は本当なのですかな。
如何に強大な力であるとはいえ貴方一人の力では、何も事を起こせませんからねえ」
 老紳士は流暢な口調で諭すように語りかける。安綱の表情が少しだけ変化を見せたようにみえたが、すぐに元に戻った。
ふんと軽く鼻息を鳴らすと、呆れたような素振りを見せて返した。
「我が『黒』の者たちのやり方にも得心がいかぬようになったというだけのこと。
かと言って、私はおことら『白』の者たちに付くつもりもない。今や双方どちらにも加担することはせぬ。
……その異端者という呼び名も気に食わぬ。
あたかも自らが森羅万象の頂におるかのような愚昧な了見を持ち得る者たちなどとは、最早討議の余地もあらぬわ」
「では、我らと共に歩む気もあろうはずがありません、な」
「愚問だ」
「そうですか。裏切ったという噂を聞いてこれはと思い、良い待遇を用意していたのですが……残念です」
 何か良く判らない話をしているということは判った。
加えて、老紳士の誘いを安綱は一言で一蹴したということも理解できた。
実際内容まで理解しようとするには、今はまだ判断材料が少なすぎて不可能だった。
 暗い体育館に静寂が満ちる。静かな息遣いと小さな虫の音だけが響いている。
 妙な緊張感があった。互いの喉元に剣を突き合わせているような、そんな感覚が二人の間にある。
二人は互いを見つめたまま身動き一つせず、一切視線をそらすようなこともない。
老紳士の背後に控える白衣に包まれた執刀医たちもまた存在感を薄くしている。
まばたきをすることすら忘れてしまいそうな、そんな空間だった。
「……兄貴」
 そんな景色に見とれていたのか、後ろからこっそりと声をかけていた景の存在をすっかりと見落としていた。
「今のうちに逃げよう。ほら、兄貴はこの人を負ぶって」
 悪いが、そんなの冗談じゃないというのが正直な気持ちだった。
ここまで引っ張って連れ回して首を突っ込ませておいて、今更この場から去れだなんてこと納得出来る訳が無い。
今自分に何か出来ないかと、そう思うのが自然な考えだろう。
 手に持った壊れかけのモップを握り締めながら老紳士を見つめ直す。
真っ白なスーツ(タキシードだろうか)に身を纏い、白いハットの下に覗くのも白髪と、本当に白づくめ。
そんな老紳士と、古典的な袴と羽織を着た少女が対峙しているというのはやはり異様な光景だった。
何者も寄せ付けないような雰囲気がある。自分すら立ち入ってはいけないような空気が。
 だけど何もしないわけには──
「馬鹿なこと考えてないで、さっさと行こう」
 モップを持っている方の腕を掴まれ、引っ張られる形で佐光の元まで連れてこられる。
「ここまで来て逃げるなんてこと出来る訳無いだろ、景」
「今の兄貴に何が出来るのさ。あの二人の思考も少しだけ読めたけど、
兄貴や俺なんかじゃ到底太刀打ちできないような次元の話をしてるよ、あの二人。
思考回路も、元の常識のレベルから全くもって違ってる。たかがモップ一本じゃ敵う訳ない。
だから俺たちに出来るのは、あの女の子も言ってたけど、この人を連れて逃げることだけだよ」
 景の言う女の子というのが安綱だと気付くのに数秒を要した。
「レベルが違うって言われても、それでも俺たちが何かしなきゃならない状況だろ?」
「何かって、何だよ。そんな行き当たりばったりな考えで──」
「このまま安綱を見捨てて逃げろっていうのか?」
 景は一瞬言葉に詰まった。景の言っていることはすなわちそういう事なんだ。
たとえ本人が逃げろと言っているとはいっても、そうやすやすとはいそうですかだなんて言える訳が無い。
まだ出会って間もないとは言っても、女の子を盾にして自分たちだけ逃げれるほど馬鹿じゃない。
 心を読んだのか、景は途端に戸惑った表情を見せ始めた。
弟の泳いだ視線は一つの助け舟を探して、そして一つの地点に行き着いた。
 その視線を追う。その先に居るのは、いまだ緊張に包まれたまま対峙している少女だ。
 ここから見えるのは安綱の小さな背中だけ。表情を伺うことは出来なかった。
体育館に電灯が点いていないということもあって、暗闇の中その背中はより小さく見える。
身じろぎ一つしない、たけどそれは逆に何か心細くて、足元が揺らぐような感覚だった。
「安綱」
 その声に反応して安綱はぴくりと緊張の糸を解いた。
瞬間、体育館に流れていたぴりぴりとした空気もどこかへと身を潜めてしまった。
 少女はゆっくりとこちらを振り返る。顔には何の表情もなかった。
「まだったのか、風一。何を躊躇しておる、早々に立ち去れと言ったであろう。
おことらにはこれ以上無理だと言ったのが聞こえなかったか」
「……安綱は、一体何の為に俺を呼んだんだよ」
 安綱の言葉は聞こえていたけれど、喉をついて出てきた言葉はそんな台詞だった。
堰の切れたその勢いはもう止める事など出来ずに、ただただ押し寄せるように吐き出された。
「何のことだ」
「とぼけるなよ。忘れただなんて言わせやしないからな。
安綱はうちの前に来てこう言ったんだ、『手足になってもらおうと思った』ってな。
だからその頼み事を聞いてあの黒犬たちを追い払う手伝いをした」
「その通り。それがどうした」
「それから景が危ないと聞いたからここまで一緒に駆けつけてきて、無事景も助け出せた。
不運にも居合わせた佐光もなんとか無事ここに居る。安綱のお陰で」
「話の先が見えぬわ、風一。もっと単刀直入に申せ」
 はらわたが煮えくり返りそうな思いだった。
 語気を荒げて、安綱へと強い視線を向けた。
「今でも俺は安綱の『手足』なんだろう? 手足はそんなに簡単に切って捨てられるもんじゃない。
安綱が今これから何をしようとしてるかなんて知らないけど、その手助けをするために俺はここに呼ばれたんだ。
それを逃げろだの去れだの無責任なことばっか言っていきなり関係を断ち切ろうとして、卑怯じゃないか!」
「……何故なにゆえ卑怯という言葉になる」
「俺はお前に手を貸した。その見返りがまだないだろ。ギブアンドテイクだ」
 その言葉を口切に、安綱は吹き出すかのように腹を抱えて笑い出した。
体育館に不気味な反響をするその声は、まるで体育館自体がくすくすと笑っているようにも聞こえる。
背後に居る老紳士はハットを目深に被り、彼もまた口元に手を当ててくすりと笑っている。
 不思議な空気に包まれた。緊張に満ちていた空気は瞬時にして弾け、体育館の広さを急に感じさせられた。
背中へ視線を向けると景が呆れたのか盛大にため息をついている。
 ひとしきり笑い終えた安綱は冷笑を浮かべて、まっすぐにこちらを見つめ返してきた。
「して、おことは私に何をして欲しいのだ」
「一緒に来い」
「……立場が逆になってはおらぬか?」
「うるさい」
 安綱のふっと笑うその姿は、先ほどの蔑んだような笑みとは違った。
表情に大した変化は見受けられなかったけれど、その纏った雰囲気が少しだけ柔らかくなったような、そんな気がした。
 気のせいかもしれない。根拠が無いけれど──でもそう確信した。
「嫌だと言うたらどうする」
 ふと安綱はそう呟いた。視線は既に老紳士を見据えていてどんな表情をしていたか判らない。
「もし要求を呑まずに、おことを放り捨てたとしたらおことはどうするのだ」
 そんなの、聞くまでも無いだろ。
「勝手にやらせてもらう」
 右手をぐっと握り締め、今にも壊れそうで少し頼りないモップを中段に構えた。
後ろで景が何か喚いているようにも聞こえるけどそれは無視する。
今視野に居るのは白い老紳士と白衣の執刀医が三人、そして足元に居る小さな少女。それだけだ。
 安綱はその様子を見て一歩前に踏み出す。
両手を両の袂に突っ込んだままの格好で、首だけをこちらに向けた。
「おこともつくづく愚かな男だ。人間とは斯様にも愚直な生き物であったか」
 安綱はすっと右手だけ袂から手を抜いた。
左の袂から取り出した手には何か細身で短い棒のようなものが握られている。
暗くて判別が出来なかったけれど、手渡されたそれをまじまじと見つめてみると短刀のようだった。
鞘は漆のようなものが塗られていて、柄の部分には紅い紐が巻き付けられている。
「愚かだが、馬鹿ではないようだな。……良い、おことの望み通りにしてやろう」
 右の袂からは先ほどの戦いで用いたものと似た御札を取り出した。
それを額の前に構えると、御札は淡く黄色い光を放ち始まる。

「私の手足となれ、風一」

 安綱は左足を踏み込むと、一気に駆け出す。
それに従うように白い男たちも、そして自分も左手をモップに添えて、足を踏み出した。





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