リレー小説企画1

far away

#6 灰色の戦い

  景も自分と同じような特別な『力』を持っている。
 そのことに自分がいつ気付いたのかは憶えていない。物心ついた頃には知っていた。
 景の口からはっきりと聞いた事はないし、漠然とではあったけれど――確信していた。
 景は他人の心が読める――と。


「――俺も直接自分の目のことを話した事はないけど、景は知ってる」
 安綱が唐突に「おことの弟は何の『力』を持っておるのだ?」と訊いてきたのは、白い影が入っていった体育館へ向かう途中のことだった。
 景のことを安綱は知らない。おそらく先程の未来視眼を持つという女性の話から察したのだろうが――なんて勘の鋭さだ。
「……で、景は相手の顔を視るとその人の考えてることがわかる……らしい」
 一度それとなく訊いた事はある。その問いに対して景は、兄貴も似たようなものだろ、と苦笑いのような笑顔を浮かべたのを憶えている。
「つまりおことの弟は『読心眼』の持ち主という事か」
 少し駆け足で歩を進めながらの会話なので、お互い目線は前に向けたまま。
「おことの話は回りくどいな」
 溜息混じりにそう言い捨てたのは勿論、安綱。
 ……わざわざ口に出してまで言う事か、それ。
「……悪かったな、回りくどくて。――それで、読心眼って」
「人の心が読める。おことも判っている事を一々訊くな」
「いやそうじゃなくて――」
「その程度しか私も知らぬ。読心眼はきわめて稀な『力』ゆえ詳細は判らぬのが現況だ」
「……そう、なのか」
 淡々と語った安綱になんとなく目を向けると、相変わらずの仏頂面が見えた。

 ――読心眼。人の心が読める力――

 ……景はその稀らしい力のせいで何かに巻き込まれたんだろうか。
 安綱に訊ねようとしたが、それは結局言えずに終わった。
 訊く前に自分は体育館へと駆け込んだからだ。
 思えば、安綱と出会ってまだ一日も経っていないのに、もう何日分もの時間が流れたような気がする。
 今日の昼までは想像もつかなかった――つくはずもなかった現実が、目の前にある。

 ……そして今、視界の中には景がいて、視線の先には――彼女がいる。


「佐光……!?」
「遠近、君……!? この人達は――」
 彼女――佐光綾は困惑を露わにしながらこちらと執刀医達とを交互に見た。
 その足がかすかに震えているのが見て取れる。
「あの娘はおことの学友か?」
 こちらの動揺もよそに、横に立つ安綱は平然としたまま。
「そう、だけど……なんでここに……っ」
「……ふむ」

「おや、誰かと思えば先程のお嬢さんですか」

「――!!」
 一瞬だった。
 気付いた時には、景の近くにいたはずの老紳士は佐光の目の前に立っていた。
「佐光!」
 佐光の目は驚愕で見開かれ、眼前で微笑む老人と視線が交わる。
「あ……」
「せっかく見逃して差し上げたのにまた戻って来るとは驚きましたよ。……残念な事ですが」
 考える暇なんて、無かった。
「――佐光!! こっちに向かって走れ!!」
 叫ぶのと同時に、横たわったままの景の元へ安綱と共に飛び出す。
 行く手を阻もうと執刀医達が迫ってきたが、念の為教室から持ってきておいたモップを武器に振り払い、なんとか景のところに辿り着く。
 弾けるように老紳士をかわしてこちらに駆け込んできた佐光は直後、床に膝を付いた。
 下を向いていて顔は見えないが、肩で息をする彼女の身体ははっきりと震えていた。
「……つくづく無茶をする男だな、おことは」
 横に立つ安綱が呆れ顔で見上げてくる。
「結果オーライってことで」
 思いつきの言葉を返してから、やっと一息つく。
 無茶でも何でも、景や佐光と合流出来たのは事実だし、上出来だと思う。
 第一、無茶な行動でも起こさなければどうにもならないだろう――この状況は。
 ……安綱の冷めた視線がちょっと痛いけど。
 前に目を遣ると、執刀医達はすでに体勢を立て直しており、じりじりとこちらに迫りつつある。
 老紳士は扉の方を向いて立ったまま、声を出すどころか身動きひとつしない。
 ……沈黙。
 静かな、けれどいやに張り詰めた空気が全身の筋肉を緊張させる。
「――佐光、大丈夫か?」
 景と佐光を守るように前に立ち、モップを構えた。
 物が物だけに見栄えは悪いがこれが唯一の武器なのだから仕方がない。
「え、ええ……」
 背中越しに聞こえる佐光の声は弱々しくて、モップを握る手に無意識に力がこもる。
「佐光はどうしてここに――」
「私は忘れ物を……途中、体育館の明かりが点いてるのを見て、だから……」
「忘れ物……?」
 どうやら偶然ここに来てしまったらしいけれど――あの老紳士は佐光と面識があるようなことを言っていなかったか。
 考える間も無く、動揺を隠せない声音のまま佐光は言葉を続けた。
「遠近君こそ、どうして――あの人達は何なの……!?」
「それは――」

 言いかけて、佐光はもとより自分も、何も知らない事に気付いた。
 力のことも、真神のことも、目の前の男達のことも、自分は何も知らない――
 ……安綱のことも。
「気を抜くな、風一」
「!」
 突然呼ばれて我に返ると、安綱は御札を手に前方の白い男達を見据えていた。
 ――見た目は自分よりも幼く見える、けれど口調はかなり大人びている彼女と出会ったのはまだほんの数時間前のこと。
 それなのに、誰にも話した事はない自分の目のことを彼女になら話していいと思った。
 どうしてかは判らない。ただ単に、彼女も自分と「同じ」だと感じたから――それだけの理由かもしれない。
 ……不思議な女の子だと思う。
 そして、心強いと思う。
 想像もつかなかった現実の中、それだけは揺るぎ無い、事実。
「来るぞ」
「……ああ、わかってる」
「遠近君……」
「大丈夫。佐光は景の――弟の側にいてくれ」

「それは困りますねぇ」
 突如、沈黙は破かれた。
 未だに扉の方を向いたままの老紳士が言葉を発した瞬間、執刀医達は一気に襲いかかってきた。
「風一、少し任せた」
「え――」
 応戦するべく飛び出した視界の隅で、安綱が佐光の背後に回り込んで彼女を気絶させたのが見えた。
「安綱!?」
「気を失って貰っただけだ。これ以上只人を巻き込む訳にはいかぬ」
 ……しれっと言うけど、いくらなんでもそのやり方はどうなんだ。
「――くっ」
 その間にも執刀医達は容赦なく迫る。
 息もつがせない猛攻。
 これじゃ遠目見眼を使う暇も――
「風一」
 後ろから、実に落ち着いた声で安綱は言う。
「よく聞け。おことは気付いておらぬようだから言うが――」
「何だよっ!?」
 こっちは戦闘中なんですが。
「こやつらは真神ではない」
「――は……?」
 あまりに突然すぎるその言葉に思わず手を止めそうになる。
 この男達が何者なのかなんて、正直考えもしなかった。そんな余裕は無かった。
 真神じゃない? それなら人間だって言うのか?
 ……けれど、人間にも見えない。
 じゃあこいつらは一体――
「そちらのお嬢さんは聡明でいらっしゃる」
「!」
「見れば判る事だろう。おこと達が真神ではない事などな」
「まぁ、そういう事になりますねぇ。詳しい事はお話し出来ませんが」
 声の主を横目で見遣ると、老紳士は既にこちらへ向き直って穏やかな表情を浮かべていた。
 いけ好かない顔だとつくづく思う。
「おやおや、余所見をしている場合ではありませんよ?」
「――っ!」
 白い男の一人の蹴りが脇腹に入り、不覚にも床に身体を打った。
 チャンスだと言わんばかりに男達は更に迫る。
「気を抜くなと言ったろう!」
 流石に危険だと思ったのだろう、景と佐光の側にいた安綱が間に割って入ってくる。
 そのお陰で相手の追撃を免れて体勢を持ち直す事が出来たが――景と佐光との距離が開いたそこを執刀医達に割り込まれた。

 ――しまった。

「風一君、でしたか。せっかくですから教えて差し上げましょう」
 扉を離れて緩やかに歩き出した老紳士が向かう先は――ひとつしかない。
「――景! 佐光!」
「このお嬢さん――佐光さんですか。彼女はね、貴方がたが来るより前に一度ここへ迷い込んで来たんですよ」
「……っ?」
 当てつけのつもりか、先程は一瞬で移動したはずの老紳士はゆっくりと歩いて二人の元へ向かう――こちらが執刀医達に阻まれているのを尻目に。
「ただの一般人だったので、記憶を消しただけで逃がしてあげましたが……偶然とはいえ、またここへ来てしまうとは全くもって不運なお嬢さんです」
 胸が早鐘をつくように高鳴る。
 ――危険を告げる。
 気を失ったままの二人の足元に立ち、老紳士は歪んだ微笑みを浮かべてこちらを見た。
「しかしこのお嬢さんは幸せですよ、儀式後の最初の犠牲者になれるのですから」
「――!!」
「さあ、そろそろ儀式の続きを始めましょうか」
「――景!!」
 景の横に移動した老紳士は仰々しく両腕を広げた。
 その異様な姿はまるでどこかの御伽噺に出てくる魔法使いのそれを思わせた。
「そこでじっくり御覧になっていて下さいね」
 言ってその場に膝を付き、景の顔に手をかざした。
 老紳士のその行為が意味するものは判らない。それでも胸の鼓動は危険を叫ぶ。
「景!! ――やめろ!!」
 次第に激しさを増す執刀医達の攻勢は止まない。それがとても鬱陶しくて腹立たしい。
 ――二人の元へ行けない自分が腹立たしい。
「落ち着け、風一!」
「落ち着いてなんかいられるか!」
 安綱の声に耳を貸している余裕なんて無い。
 早く止めなければ景と佐光が――!

 直後、景の身体からぼんやりと黒い光が放たれ始めた。

「……!!」
 空気が震えて、どす黒く淀む。
 全身に寒気が走ったのが判る。
「――あれ、は」 
 あれは――何だ。
 視線の先、景の身体の周りに集まるあれは。
 ……この世にあってはならないもの。
「――やめろぉぉぉ!!」

 瞬間、何かが弾けるような音がした。
 それと同時に、淀んだ空気が引いていく。
 執刀医達も唐突に動きを止め、ただ呆然とその場に立ち尽くしている。
「え……?」
 まるで世界が変じたようだ――とでも言うのだろうか、この状況は。
「――だから落ち着けと言ったのだ、戯け者め」
 突然の変化にそんな事を考えていると、安綱の盛大な溜息が聞こえてきた。
「……安綱」
「前をよく見てみろ」
 言い方はきついけどどこか安心する落ち着いた声。それが自分を平静に引き戻してくれた……気がする。
 ――見ると、景の顔にかざされた老紳士の手を別の手が掴んでいた。
 いびつな笑みを浮かべていたはずの老紳士の顔は、今は驚愕で歪んでいる。
「な――何故……!?」

「……人の、身体に……何して、るんだ」

 老紳士の腕を押さえたまま、ゆっくりと上体を起こしたその人物は――気を失っていたはずの、景だった。
 その身体から出ていた黒い光はすでに消え失せている。
「――景……?」
 かすかに漏れた呟きが聞こえたらしく、名前を呼ばれた本人は顔を向けた。
「兄貴……何だかよく判らないんだけど……この状況」
 辺りを見回してから視線をこちらへ戻し、景は気まずそうに苦笑いを浮かべた。
 その表情は、自分がよく知っている景の笑顔だった。





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