Zephyr Cradle

Site Menu

LagrangeConcerto "Red Crown"


2. はじまりの建国祭(2)

 街は既に暗く闇を落とし始め、空には一番星が輝いている。
 人の波も賑わいと言った雰囲気ではなく、静かに余韻を楽しむといったような空気になりつつあった。道行く人々の速度は昼間ほど急いてはいない。ウィンドウショッピングをしたり、露店で売られている食事を夕食のために買っていたりとする。
 クラウスたちは真っ直ぐに街の外へと足を向けていた。屋敷は中央通りを南下した先、郊外の街道から少し離れた場所に建てられている。周囲を森に囲まれているため、自然の砦となっていて今まで発見されなかったその場所は夜も更けると漆黒の闇に覆われてしまうため、さらに発見が困難となる。何も知らない者が迷い込めば陽が昇るまで彷徨うことになるだろう。
 先頭を歩むユウキはふと思い出したように立ち止まると、足先をセントールの西側へと変えた。
「どうしたんだい、ユウキ」
 クラウスは前を行くユウキとエルミナの背を追いながら訊ねる。
 ユウキが今向かっている方向は明らかに屋敷の方角ではない。セントールの西側は、大戦以前にこの国の政治を執り行ってきた官吏の家が集まる、言わば追いやられた地区である。現在政治を仕切っている帝国の兵士たちが住まう東側と比べると、今でもある程度の発言権を与えられているとはいえ寂れた雰囲気は拭い去れない、そんな地区である。
 ユウキは歩を休めることなく、声だけを返す。
「気が動転してた」
「は?」
「今屋敷に戻れば帝国の連中が構えてるのは当然だ。俺はそんなことにも気が付かなかったのか……っくそ、今が一番落ち着かないといけないっていうのに」
 吐き捨てるように自らを毒づく。表情は険しく、己を呪っているんだろう、だが決してユウキの所為などではない。クラウスはそう思っているが、だがそれを口にしたところで今のユウキの耳には届かないのだ。こうなるととことん一人で抱え込み、早急に打開策を捻出して実行直前まで持っていくというのが彼流のやり方だとクラウスは知っている。
 彼が考えていることを知りたいときは、それとなく聞き出さないといけないということも十分に熟知している。
「じゃあ今はどこへ向かってるんだ?」
「ガレリア卿のところだ。彼の邸宅が今最も安全な場所だろう」
 この国の宰相を代々任されてきたガレリア家の前当主である、ガレリア卿ことレオナルド・ガレリア。ユウキが相談役として何度も足を運んでいる相手である。
 今年で齢七十五になる彼は王妃レナに直接使えていた騎士でもあり、次期宰相は当然レオナルドだとまで謳われていた人物。残念ながら宰相になる前に敗戦したためにその座に就くことは叶わなかった。とはいえ宰相家と呼ばれるガレリアの家督を譲った今でも、その名声は衰えることなく響いている。グランス王家にガレリアあり、と。
 そのレオナルドも幼い頃からクラウスの面倒を見ていたことがあったという経緯もあり、現在は個人的にクラウスへ協力をしている。
 クラウス側の兵力の総括をしているのはレオナルド。ユウキが各貴族、騎士の元へ奔走しただけでは信頼を得ることなど容易ではないが、ガレリアという名前が後ろ盾にあるだけで兵の纏まり具合が随分と違ってきている。新参者であるユウキが一人で交渉に走ったところで素性の知れない男を容易に信用する者はそうそうおらず、そこでレオナルドの名前を出すだけで一気に話がスムーズに通り、加えて他の貴族よりも誉れ高いレオナルドの名だからこそ、予定していた数よりも多くの者が賛同してくれる結果となった。
「まずは状況把握、戦力の確認。ガレリア卿が今現在どの程度の人間を動かせるのかが知りたい。今すぐ動くにしろ後日動くにしろ、ガレリア卿のところへ行かなければ正確な数字は判らないからな」
 西側の石畳を三つの足音が打ち鳴らす。大通りの喧噪から隔離され、振り返らねば感じることの出来ない祭の賑わいは、既に遠くの世界のように思える。
「昨日もレオナルドさんのところに行っただろ、その時はどの程度動かせると言われたんだい?」
「二百だ。このセントールに残っている王家派の騎士もまだ皆準備は整っているわけじゃないからな。他の都市に散った騎士たちはこの建国祭に乗じて集結する予定になっているから、完全に頭数が揃うのは建国祭が終わってからという事になってる。もっとも、それも早めなければならないな」
 今日は建国祭の初日。祭の日程は全五日間であるためにその二百という数字も仕方がないように思える。
 そもそも今こうやって騎士たちをかき集めていることくらい帝国側は把握しているだろうということはクラウスにも察せられる。セントールの周囲を囲む城壁の出入りが厳しくなっているという話は聞いているし、だからこそ、その規制が緩む建国祭に合わせて騎士たちを呼び寄せているのだ。
「それにしても問題はまだまだ山積みね……その兵を収容する場所、兵糧、武器。大勢をまかなえるほど、資金も長くは保たないんだから早めに行動に出たほうがいいわ。帝国がレナ様をどうするか判らないけれど、遅くとも建国祭最終日には動かないと駄目ね」
「そっちの方はどうなんだ、王城にどの程度兵が駐屯しているか判ったか?」
「ざっと八百ってところね。祭の最中に城下の警備や巡回に駆り出されている人数を差し引いても五百は下らないはずよ」
 人の往来が少ない西側とはいっても、それでも大っぴらに話せる内容ではないので小声でやりとりを交わす。
 ユウキは腕を組みながら唸った。
「こちらの方は確実に千は集まる。だけどそれも祭の最終日の話だ。それまでに向こうに動かれたら洒落にならない」
「とにかく今はガレリア卿のところへ行って動かせうる数を把握しないといけないって訳ね」
「そういうことだ。急ごう」
 先行する二人が駆け出そうとしているが、クラウスはというと少しばかり思い残すものがあった。
 屋敷は確実に帝国側に占拠されているはず。特に見られてもまずい資料などは置いていないとユウキは言っていたが、それでも一つだけ忘れてはならない物がある。
「なんだクラウス、あの剣のことを気にしてるのか」
「ん、ああ……」
 剣――それはグランス王家に代々伝わる魔剣である。
 この国が帝国に占領される際に密かに王城を抜け出した王妃レナは、その脱走の折に宝物庫で眠っていたその剣を持ち出したという。代々グランス王家に伝わるといっても、その力の強大さ故に長い間封印され続けてきており、先の大戦においても遂に実戦投入されることはなかった。大戦においてその魔剣が陽の光を浴びたのは脱走の際という、なんとも皮肉な話である。
 その剣はクラウスが生まれるよりも前から屋敷に在った。生まれたときからその剣の継承を約束されていただけに、剣には妙に親近感があった。両親が先立った後、クラウスは師匠の元でさらに高度な剣の扱いを学び、基本的な剣術からその魔剣の制御までを極め、そして現在に至る。
 生まれたときから日々を共にしていた、かの剣は真の兄弟よりも兄弟らしい存在であるのだ。
「あれを御せるのはお前くらいだよ、帝国の連中には無理さ。だからそんなに心配しなくても大丈夫だろうよ」
「いやそうじゃなくてさ」
「ん?」
 クラウスも、自慢ではないが他人にあの剣を制御出来るとはさらさら思ってもいない。ユウキやエルミナですら不可能であると思う。
 だから、心配なのはそんなことではなく。
「お祖母様が捕まったって言っても、そのあとに屋敷が消し飛んでなきゃいいけど」
「…………」
「…………」
 それを聞いたユウキとエルミナはみるみると顔色を変えていった。二人もその恐れを忘れていたようだ。
「まあ、爆音がしてないから大丈夫だとは思うけどね」
「……そうだな」
 不安からか足の速度が一気に落ちた二人を追い抜いて、クラウスは一足先にレオナルドの邸宅へと歩を進めた。



 レオナルドの邸宅は、周辺に林立する他の貴族のそれよりも遙かに広く、荘厳である。
 まず入り口までが遠い。衛兵に名を名乗り門を開けてもらうが、そこから玄関にたどり着くまでには真っ直ぐに数十メートルは歩く必要がある。美しい彫刻のなされた噴水をぐるりと半周して、十段程度の石段を何度か上ってようやく目的の玄関にたどり着くことが出来る。
 流石は宰相家と言ったところ。クラウスはいつ来てもこの大きさには圧倒されっぱなしである。
「お待ちしておりました殿下」
 玄関先に立っていた白髪の執事は丁寧で美しい会釈をする。その仕草につられて、クラウスも咄嗟に深々と頭を下げた。
「カイゼルさん、お久しぶりです」
「お久しゅうございます。中でレオナルド閣下が首を長くしてお待ちです」
 カイゼルはいつもここに来るとまず真っ先にお世話になる相手であり、物腰柔らかで、執事という言葉が非常によく似合う優しい人間である。
 カイゼルはその様子にくすりと微笑み、三人を中へと誘導した。
「レオナルド様は元気ですか? 先日から調子が悪いと聞いてますが」
 長い廊下を歩きながらクラウスは執事に問う。この邸宅に通っているユウキから、度々そういう話を聞いていたので少しばかり気になっていたところだった。肝心要のレオナルドがもし倒れられでもしたら、それこそこちらの不利になりかねない。それ以上に、純粋にレオナルドを慕う心もあるのだが。
「先日無理をなさって運動など致しましたから、普段お使いにならない腰を痛めただけでございます。大したことではありません。それに今日は体調もよろしく、此度(こたび)のレナ様の一件もありましておちおち寝てもいられないと張り切っておられますよ」
「ははっ、相変わらずだなあの御仁は。レナ様のことを何気なくだけどいたく気にかけてくださっている」
「若かりし頃からの憧れだったようですからね。私も昔からあの方を見ていますが、変わりませんよ」
 カイゼルは大戦時からレオナルドの元で、こういった身の回りの世話をしていたのだとクラウスは聞いている。だから今、レオナルドを最も知る人物はそういった意味でもカイゼルその人なのである。五十年以上も共に歩んでいれば隠せるようなものはないだろうと思う。
 曰く、レオナルドはレナに特別な感情を抱いていた、と。
 ユウキはユウキで察しがいいというか、普段何かと会話をしていてその言葉の端々からそういった疑いをかけていたらしい。感づいたその直後にカイゼルに確認をとって裏を得たというからなんともちゃっかり者というか。
「まったく、いつの間にユウキはこの家に馴染んだのよ……随分と親しそうにしちゃって」
 ぼそりと呟いたのは意外にもエルミナだった。
「あれ、なんかエルが悔しそう」
 クラウスは少しばかり驚いてエルミナのほうを見た。彼女がそんな感情を表に出すことなど、まず滅多にない。
「そりゃそうよ。私だって小さい頃からこの家にはお世話になってるけれど、あとからやってきたユウキなんかがそんな風に親しくしてるのを見たら、やっぱりなんだか悔しいわよ」
「おいおい、なんだよそのユウキなんかってのは」
「あんたなんてそれくらいがお似合いよ。今日だって勝手にクラウスを引っ張り回すし――」
「ちょっと待て、またそこに話題が戻るのか」
「それ以上にあんたは前科が多すぎなのよ。協議しなきゃならないときに部屋に居ないと思ったら屋根の上でいびきかいてるわ、エクスと談笑してるわ、レナ様とチェスしてるわ……それ以外にも、」
「ああもう判った判ったって。それは耳にタコが出来るほど聞いたよ」
「だからそういう態度が判ってないっていうのよ、大体ね……」
 そんなやりとりにクラウスはカイゼルと視線を合わせると、ぷっと小さく吹き出した。
 この二人もまだ会ってから一年しか経っていないというのに仲がいいなと、クラウスは少しだけうらやましく思う。

 天井が高く、そして長い廊下を抜けて大広間を突っ切り、通された部屋はいつもと同じ応接間。比較的奥まったところにあるこの部屋は、昼間は日の光がよく差し込み夜は輝く街の光が見渡せる、この邸宅の中でも最上の部屋なのである。自分が王子であるからとはいえこういった心遣いが、クラウスは純粋に嬉しかった。
 扉を開けると大きく白い髭を蓄えた人物が一人、部屋の中央に陣取っていた。決して派手ではない服装であるが、それでもどこか威厳を感じさせる風貌と眼光。そして彫りの深い顔がその人物をただ一人に特定させる。
「お久しぶりです、レオナルドさん」
 クラウスは静かに会釈をすると、続く二人もそれにつられて同じようにした。
「久しいなクラウス王子。それにエルミナもか。元気にしておったか?」
「ご無沙汰しています。ガレリア卿もお元気そうで何よりです」
 レオナルドは皺の多い顔で笑むと、立ち上がって椅子を勧めた。
「ユウキとは毎日会っておるから面倒な挨拶は省かせてもらうぞ」
「それじゃこっちも省かせていただきます」
「……まあ良い」
 カイゼルはいつのまにか四つのティーカップをトレイに載せて構えており、各人が席についたのを見計らうと順にカップを置いていった。
 香りは甘酸っぱいレモン。少しばかり冷えた身体には非常にありがたく、クラウスはいただきますと言って早速口に付けた。紅茶が身体の芯まで暖めるようで、少し酸味のあるそれは、だが頭を覚醒させてくれた。
 カイゼルはクラウスに微笑むと、静かにレオナルドの横へと控えた。
「それで早速本題だが、レナ様が帝国に囚われたとの報告を受けた。それは(まこと)か」
 三人が落ち着いたのを見るとレオナルドは早々に話題を切り出した。
「はい。俺たちは街に出ていたために気づきませんでしたが、秘密裏に屋敷を襲ってレナ様を捕らえたのでしょう。セントール中央公園で駐屯軍副将軍のシェルグ・ディミヌがレナ様を連れて演説をしていました。三日以内に何かしらの行動を見せなければ『それ相応の対応も辞さない』、とか。俺たちも屋敷に戻るわけにもいかず、こうしてガレリア卿の邸宅を訪問した次第」
「シェルグか。将軍ならまだしもシェルグとは、また厄介な奴が出て来おったな……」
 ユウキの報告を聞き、蓄えた髭をもてあそびながらレオナルドは唸る。ユウキはいつの間にかサングラスを外していた。
「奴とは何度か顔を合わせているが、あまり気持ちの良い男ではないな。騎士道も知らぬ貴族上がりの騎士なのだろう、どうにも他人を卑下するようなきらいがある。奴が現状を仕切っているとなると一筋縄ではいかぬだろうな」
「と言うと?」
「騎士の常識が通じぬということだ。奴には騎士のなんたるかが判っておらぬ故に、常軌を逸した行動に出ることも十分に考えられる。これまでにも外交でそういった手法……いわゆる非道とでも言うべきか、それで指揮を執ってきた男だ。エング・ヴァルカン将軍は誠実な男だが、シェルグは油断は出来ぬな」
 今回の件に将軍が関与していないということは三人とも暗黙のうちに了解していた。将軍を差し置いて副将軍であるシェルグが『グランス島の全権を委任されている』ということは何らかの理由で将軍が不在、または指揮を執れない状況にあるということを示唆している。
 しかしその相手は将軍本人よりも狡猾な人物。このレオナルドに「非道」などと呼ばれるような者にレナを預けておくのはクラウスにとって苦行以外の何者でもない。こうしている間にも何をされているかが判らない。ただ牢に放り込んでおかれるだけならば、とも思うが気温が下がり始めたこの季節柄、老体には寒さが響くはずだ。クラウスとしては丁重にもてなしてもらっていることを祈るばかりである。
「それで、君たちはどうするかね。……これは救助に向かうか否かを訊いているのではないぞ、どういう手段を用いるかを訊いているのだからな」
「そんなの言われなくても判ってますって……」
 ユウキが半ば呆れながら言うと、レオナルドはそうか、と短く切る。
「まったく、レナ様のこととなるとすぐのぼせるんですから」
「……悪かったな」
「それで、王城に配備されている兵の数は八百とエルミナから聞きましたが、これに変化はないですか」
「現状では変化はない。だがレナ様を捕らえたことにより、奴らも一気に我らの掃討に力を入れてくるやもしれん。その為に湾港都市フェデルからの援軍も十分に考えられるな、手を講じるならば早めに打つことを進言する」
「ですがこちらにも手数が足りていない。今はどの程度まで動かせますか」
「出せて二百五十だな。明日には三百になると思うが、どうにも各地の騎士たちも大勢で動けば何事かと疑われるという弱みがあるものでな。予定を変更して早めに集結するよう伝令を飛ばしてもこればかりは無理だろう。こちらが相手と同数の八百になるのは、祭の最終日になる可能性も十分にありえるということを理解したまえ」
 ユウキが歯がみしているのが判る。つまるところ、シェルグが提示してきた三日後までに帝国側と同数揃えるのは不可能だと言われたのだから。予定よりも兵の収集が遅くなっていることすら懸念されるこの現状では、ユウキが画策しているであろう作戦も完全な成功は難しいということだろう。
「どういう戦術を思い描いておるかね、ユウキ」
「はい。……これは二人もしっかり聞いてくれ」
 クラウスとエルミナは無言で頷く。カイゼルもそれとなく視線で、しっかりと聞いていると返事をしているように見える。
「陽動戦を用いたい。すなわち、部隊を二つに分けて一方が敵を引きつけ、もう一方が王城内にいるレナ様を助け出すということだ。陽動部隊には最も多くの兵を割いて、よりそちらが本体であるように見せる。突入する本隊は少数精鋭でいく。なるべく身軽に動きたいからな。二日後の深夜、宵闇に紛れて決行すればそれなりの成功率はあるはずだ」
「こっちの頭数で陽動だなんて……ちょっと無謀すぎやしない?」
「少々心許ないが、恐らく問題ないだろう。深夜ならば守りより攻め、速攻を心がければ大勢(たいせい)はこちらにある」
 この作戦を用いれば陽動部隊には少なくない被害があるだろう。圧倒的に駒が足りない状況ではこの作戦を用いるのは厳しいが、それでも有効な作戦であることは確かだと思われた。兵を出し惜しみ出来るほどの数が居ないのだから、その力を効果的に発揮することが最優先だろう。
 エルミナは顎に手を当てて考えていたが、ふと顔を上げる。
「ユウキ、この作戦はレナ様を助け出すことが目的よね。今回はこの作戦でもいいかもしれないけれど、その後はどうするわけ? 陽動部隊と本隊併せてこっちの兵をすべて注がないといけないんだから、それはつまりこっちの手札を帝国側に晒すということになるんじゃない? その後に二度目の攻撃を仕掛けるにしろ何にしろ、私たちの居場所や兵数が明かされるということは今後不利になりかねないわよ」
「ああその通り、実はそこが問題なんだ。この作戦を用いればレナ様を助け出せても、帝国を追い出せるほどの兵力が足りなくなりかねない。それに帰還する時はここに戻ってくるという訳にもいかないしな。これは諸刃の剣……ではないか、作戦が成功したとしても果たして事態が好転するとは限らないんだ」
 その言葉によって沈黙がおりた。レオナルドもしきりに自慢の髭をもてあそんで、静かに唸っている。
 レナを助け出そうと思えば兵力が心許なくなる。それはすなわち、彼女の救助と同時に王城にいる帝国を追い出すという荒技でもやってのけなければ今後、クラウス側に好機が訪れるということは難しいということに他ならない。当然ながら三日後までにそれを実行できるだけの頭数が揃うかと言われれば可能性はかなり低い。
 クラウス自身はおろか、恐らく他の人間もそれを感じているだろうが誰も口に出せないでいる。
 レナを見捨てればいい、などという考えがちらりと浮かんでは消えていく。そうして建国祭最終日まで兵力を蓄え、十分に準備が整ってから突撃するのが、きっと最良の判断であろうとクラウスも判っている。だがそれは、レナを見捨てるなどという考えは元からありえない。
 そもそも彼女の為に始めた戦争といっても過言ではないのだから。
「お祖母様を助けて、そのまま副将軍を落とせればな……」
「これが建国祭の最終日ならそれも十分に可能だと思うが、それこそ現状ではレナ様を助け出すということよりも難しい――」
 ユウキは突然はっとしたように考え込む。どうしたんだろうかとクラウスが見つめるがなかなか動き出さない。
「ユウキ、あんたまさか」
「作戦変更だ、そちらの方が成功率が高いかもしれない」
 エルミナは何かを察したようだが、クラウスには全くもって判らなかった。
 レオナルドは視線だけでユウキに発言を促す。
「基本的な戦術には変更点なし。ただ本隊の標的(ターゲット)をレナ様ではなく、ディミヌ副将軍にするという話だ。レナ様を押さえるよりも、王城そのものを押さえてしまえばいい」
「誰よ、さっきレナ様救出より難しいって言ってたのは」
「レナ様を助けた上でさらに副将軍を落とすのは困難だと言ったんだよ。俺が言ってるのはそうじゃない、指揮官だけを狙うんだ。現在この島に居る帝国軍の旗印であるディミヌ副将軍を落とせればレナ様を解放出来る上に、王城も奪取することが出来るだろ。まさしく一石二鳥と言うわけさ。これは奇襲ということからも成功率は低くない。特定の人物を救助するというのは探すのも大変な上に一定地点を往復しなければならないが、副将軍の打破のみが目的となれば片道で済むしな」
 相変わらず理屈っぽいなとクラウスは感じたが、でも確かに一理はある。
「副将軍も、きっと俺たちが狙ってるのはお祖母様だと思うだろうし、悪くないんじゃないかな」
 そういう意味でもある意味二重の陽動作戦になっていると言える。そう考えれば気持ちが少しずつ高揚してくる。ユウキやエルミナも暗く沈んでいた表情が徐々に明るくなってきた。考え込んでいたレオナルドもどことなく表情を緩めている。
「ガレリア卿はどうお考えですか?」
 エルミナがちらりと視線を投げる。確かに表情を緩めてきてはいるが、未だに難しい顔をしていることに変わりはない。
「……戦術としては悪くないだろうがな、実際に動かせる兵を考えればどうかね。二日後の深夜と言ったが、それまでに五百集まるかは怪しいところだろう。たかだか五百弱の兵を二つに分断させ、それで任務を遂行させるのは少々荷が重くはないかね」
「五百も居れば十分。問題は、本隊がいかに素早く副将軍の首を取れるかということだけですよ。陽動はそれと気づかれないように俺が指揮していれば問題はないでしょう」
 なるほどとレオナルドは頷く。横に控えるカイゼルもにこりと優しい笑みを見せている。
 ユウキが言うといつも勝機が見えてくるから不思議な気分になる。クラウスは何度かこうやってユウキに後押しされたことがあるが、その言葉だけで本当に勝てる気になれるから不思議だと思う。エルミナに言われたときとはまた違った感触がある。それが無性に心地よくて、彼ならやってくれるという気にさせてくれる。
 そもそもユウキの後押しがなければ、クラウスには反旗を翻そうなどという事も毛頭浮かばなかったかもしれない。
 不意に扉が打ち鳴らされた。カイゼルが四人に礼をしてから扉へ歩み寄り用件を問うと、伝令より知らせが届いたという返事が返ってきた。レオナルドはカイゼルに向かって頷くとカイゼルは戸を開く。
 入ってきた騎士はまだ若く、二十歳を過ぎた程度のがっしりとした青年。
「伝令より知らせが届きました旨、お伝えに上がりました」
「申せ」
「はっ。先刻、セントール中央公園にて触書が公布され、これを早急に知らせよとの伝令です。僭越ながら私が読み上げさせていただきます。『三日後正午に先代王妃レナ・フォウ・グランスの公開処刑を執り行う。また、その時刻までに王子クラウス・フォン・グランスが王城へ出頭した場合は(これ)を中止する。――蒼炎騎士団副将軍シェルグ・ディミヌ』。以上です」
「そうか……ご苦労であった。持ち場へ戻るが良い」
「はっ」
 失礼しますと短く切ってその騎士はカイゼルに見送られて去っていった。
「どう見るかね」
 カイゼルが元の位置に戻るよりも早く、レオナルドはユウキに問いかけていた。その瞳は若干だが不安の色が濃くなっている。
 だがユウキは顔色一つ変えずに、息を一つだけ吐く。
「どう見るも何も、予想の範疇内。相手が副将軍でなくとも、仮に俺だとしてもそうします。ただ、予定よりもかなり早い知らせではありましたが」
「ならば先の作戦もそれを見越しての事だと言うのかね」
「当然です」
 強い視線でレオナルドをにらみ返す。交錯した二人の視線は強い威力を持っているのか、火花でも散っているかの如く感ぜられた。クラウスには入り込む余地などないように思われてその様子をじっと静観する。
 ちらりと視線をずらせばレオナルドの背後にある大きな窓から街の灯を眺めることが出来た。既に陽は空を朱く染め上げ、その色を追うように暗い闇が迫ってきている。だが足下に広がるように輝いている光たちはそれに負けじと強く輝いている。
 カイゼルは相変わらずにこやかに笑みをクラウスへと向けていた。いつも笑顔を絶やさない事から仮面のような笑顔なのかと思われがちだが、彼をよく知るクラウスにはそうでないことを知っている。あの笑顔の中にも表情が存在し、それがどんな意味を示すものなのかということを、長いつきあいの中から見出している。
 カイゼルはレオナルドがどう返答するか判っているのだろう。その笑顔は力強さに満ちていた。
「判った、ではお前たちに指揮権を渡そう。せいぜい上手くやってこい。先ほども言ったが、シェルグは何をしでかすか判らない男だ。十分に気を付けろ」
「……ありがとうございます!」
 ユウキはぱちんと頬を叩くと、勢いよく椅子から立ち上がった。それにつられるようにクラウスとエルミナも起立する。
「それじゃ早速部隊の編成をしないといけないわね」
「ああ、そこは俺よりもエルミナの方が得意だからな、よろしく頼む」
「……なんだか、あんたに面と向かって褒められると気味が悪いんだけど」
「エルミナは一体俺のことをどういう目で見てるんだ」
 クラウスは再び吹き出すと、小さく呟いた。
「二人とも仲がいいな」
「どこが」
「どこが!?」
 ――耳ざとく反応してくるその台詞まで仲良く一緒じゃ、どこがなんて改めて言う必要ないって。

 窓の外にはすでにいくつもの星が輝き始めていた。
 決戦は、二日後の深夜。


***


 陽も落ちてしまうとその場所は漆黒に塗り潰される。
 セントールの街道からさほど離れてはいないとはいえ、辺りを鬱蒼とした森に囲まれていれば街の灯など届くはずもなく、だからこそその場所はうってつけの隠れ場所だったのだと納得がいく。木々を隠れ蓑にして、まさに灯台下暗しといったところだろうか。
「しっかしまあ……よくこんなお膝元で見つからずにいられたよな、五十年近くも」
 一人の男がぼそりと呟いた。そのことによって空気の流れが生じ、若干だが張りつめていた緊張感が和らぐ。
「今までこんなところも発見出来なかったのか。まったく上の方々は何やってたんだか」
「たかが王女が一人逃げ出したところで何も出来やしないと高をくくっていたって話だぜ。そりゃ少しは探したらしいが、どうにも見つからなくて何年も経っちまったから諦めたって事らしい」
 別の男の声が返す。お互いに正確な位置は掴めていないが、この漆黒の世界で会話が出来るという、それだけでも安心感がある。
「それに、実際ここを見つけたのも偶然だしな」
「そうなのか?」
 三人目の声が応答した。この話題には食いつく人間が多いということらしい。皆顔は見えていないが、それでも素性は知れているので特に警戒などは必要ない。他にも人が居るはずだが応える声がしないのは、密かに聞き耳を立てているからなのか眠っているからなのかは判らない。
「ああ。それも最初はここではなく別の場所だったらしいんだがな、似たような廃屋が近隣の狩人に発見されたんだ。最近になってこの辺りはイノシシやらタカやらを狩る人間が増えてきたからな、そのうちの一人が見つけたんだそうだ」
「それで?」
「ああ、その廃屋は至って普通の廃屋に見えたそうだが、その狩人が中を物色しているとだな……」
「おいおい、廃屋だからって勝手に物色なんかするなよな」
「誰のもんでもないんだから別に構いやしないだろ、そんなのはどうでもいいんだ。それより、その玄関先で狩人は二本の長剣を目にしたんだそうだ」
 金属の擦れる音がする。音から察するに一人目の男が体勢を変えたのだろう。
「剣? そんなもの誰にだって容易に手に入るじゃないか。別に不思議でも何でもない」
「まあ話は最後まで聞いてくれよ。その狩人は長剣を抜いてみたんだそうだ。そいつはえらく整った形の長剣だったが刃こぼれが凄かった。二本ともだ。こりゃあ誰かが家ごと捨てていったのかと思うのが、まあ妥当ってもんだ」
「そうだな、俺が見つけてもそう思う」
 そのあと、率先して喋っていた男がふっと言葉を切る。ここが見せ場だと言わんばかりに溜めていた。
 しん、と森は静まりかえっていた。その場に居るであろう誰もが耳をそばだてているのか、呼吸の音がえらく抑えられているようだった。
「もったいぶってるんじゃねえよ、それがどうかしたのか」
 痺れを切らせて三人目の男が不満を垂れる。まあまあとなだめるがどうにも二人目の男は楽しんでいるような口調だった。
「その狩人はもう三十くらいの男だったんだがよ、その剣のヒルトを見て腰を抜かしたんだ」
「そこに、グランス王家の紋章でも描かれていたってか」
 膝を叩くような音が森にこだました。それに合わせてかちゃかちゃと金属が音を立てる。
「その通りだ。そんでその狩人はびっくりしちまってな、慌てて王城までそれを報告しに来て、それを切っ掛けにここらの森を捜索していたら……というわけさ」
「ははあ、なるほどね。しかしお前さんも物知りだな、どこでそれを聞いたんだい」
 さわさわと足下を風が通り抜ける。
 少しばかり肌寒いが、しかし皆ここで一夜を過ごさねばならない任務についているのでそれに文句は言わない。
「よくぞ聞いてくれた。そもそもその狩人から報告を受けたのは俺なのさ。実際に剣を見せてもらったし、廃屋とやらも案内してもらった」
「つまりだ、俺たちが今こんな任務に就かされているのはお前の所為って訳だな?」
 はははと何人分かの笑い声が響いた。その通りだ奢れよ、とか、お陰でカミさんに叱られたんだぞ、だとか口々に文句を言っていた。上官に文句は言えないが、同僚ならば軽々しく文句を言える。
 また風が通り抜けた。
「おいおい待てよ、確かにそうなるけどな、いいか、俺は国に貢献したんだぞ? 歴史の一ページに刻まれるかもしれない男だぞ? そんなやつにそういう口を叩いて、後で後悔するなよお前ら」
「別に貢献しなくたってこの島は平和じゃないか。それを混ぜっ返して、ついでに俺らの勤務時間を延ばしたのは紛れもなくお前じゃないか。お偉くなるなら、ちったあ奢ってくれたっていいじゃないか、なあ?」
「そうさ、ついでに俺らを昇格してくれよ、歴史の一ページに名を刻むくらいの英雄さんだったらそれくらい大したことでもないだろ」
「あのなあ、別に名前を残すったって勲章がもらえるとかじゃないんだぞ? この俺の行為が教科書に載るだとか、そういう話じゃないか。そんなに食いつくなよお前ら」
 先ほどよりも冷たく、強い風が木々の葉を揺らす。いよいよ無視できないほどの寒気が男たちの間を走り抜ける。
「……って、なんか急に風が強くなってきたな。一雨来るか?」
 一人の男が空を仰ぐが、木々の間から覗く夜空は満天の星空だった。
「雲なんか何もないな、ただのジェットストリームだろ」
「そうだな。だけど珍しいな、夜に吹くだなんて」
 ざわざわと葉の擦れる音が徐々に大きくなり、いつしかその屋敷一帯を支配した。方々(ほうぼう)から聞こえるそのざわめきは、何か動物の群れの中にでも紛れ込んでしまったかのようなおぞましい雰囲気を放ち、周囲は異様な空気に包まれた。
 もはや、談笑などしてる場合ではなかった。
「おい、これは……」
「なんなんだよ、一体」
 男たちは腰の得物に手をかけて、何者かが現れてもいつでも抜けるように構える。
 周囲に気配を巡らせるがどうにもその音の所為で意識が集中出来ない。いや、集中出来たとしてもこの状況では察せられない。常にどこかに何者かが居るような、あるいは誰も居ないような、誰しもそんな感覚に襲われていた。
 騎士団で鍛えた感覚など役に立たず、その恐怖と異様さに完全に呑まれてしまっている。

 どさり。

 その世界の中にふと突然、何かが落ちる音が紛れ込んだ。その数秒後には金属ががしゃりと盛大な音を立てる。
「…………おい」
「なんだよ、今の音」
 男たちの間に動揺と緊張が走った。
 風は弱まるどころか一層強まり、木々は今にも折れんばかりに枝を揺らしている。
「なんだか今の音、まるで人が倒」
 その言葉は最後まで発せられずに、直後またもや先ほどと似たような音が一帯に響いた。

 どさり、がしゃん。

 その音は屋敷の反対側からも響いてくる。
 徐々に間隔を縮めながら。

 どさり、がしゃん。

「おい、いったい何なんだよ、これは!」
 最も多く言葉を発していた男は騎士剣を抜き放ち、震える手でそれを構えている。膝はぐらつき、歯はかちりかちりと音を立てる。胸に刻まれた炎を模した騎士団の紋章も今は頼りなく震えていた。
「誰か、誰かいないのかよ!? おい、おいってば!!」
 返事はない。

 ――あるいは、木々が返事をした。

 ばきりと枝がもげ、大樹が根から倒される。大きな轟音と共に降ってくる自然の柱たちは、ぐしゃりと何かを潰すような嫌な音を立てながら倒れ込む。互いにぶつかり合い、擦れ合い、屋敷すら潰してしまわんが如くに降り注ぐ。
「ひ、ひいいいいいい!!」
 男は未だに剣を握ったまま立ちすくんでいた。暗闇の中で繰り広げられている光景がいったい何なのか、そんなことを考えることも出来ずにただ呆然と恐怖に囚われていた。

「……おい」

 声。
 騎士の背後から何者かの低い声が発せられた。
 恐怖にすくんでいる騎士には「ひっ」としか返事をすることが出来なかった。それ以上思考を回転させることなど、不可能であった。
「髪の赤いこんぐらいのガキがどこに居るか、知らねーか」
 騎士は、もはや声など出ない。耳元から聞こえてくるその声の主は、息づかいまでが聞こえてくるような距離に居るが、それが殊更恐怖を増徴させた。
 その声は眠気たっぷり起きたての高等院魔術学生といった雰囲気で、今にでも大きなあくびをかましそうな風であった。
「う、あ、あ…………」
「なんだ知らねーのか……ったく、あいつどこに行きやがったんだよ……」
 背後に居た男は一歩足を踏み出す。じゃりっと砂を擦る音が聞こえて、

 突然、風が止んだ。

 耳が痛くなるほどに鳴り響いていた音は、宵闇に食われたかの如く突如無音へと帰した。木々の擦れる音も、何かの落ちる音も潰れる音も皆、聞こえてはこなかった。
 真横を通り過ぎた男はそのまま無防備に前進を続ける。足下に転がっている大木や枝たちを鬱陶しげに蹴ってどかしながら、森の中へと消えていった。もっとも、その様子も暗闇に覆われていて見ることなど出来なかったが。
 だが騎士は唯一、その通り過ぎた男の髪だけは確認することが出来た。
 長く無造作に伸したその色は、白銀。
 何も見えない視界の中でそれだけが目視することが可能だったからだ。
「な、な、な……なん…………」
 騎士は腰を落とし、剣を手から放した。
 思考など全くかなわず、周囲に転がっている同僚の切り刻まれた死体や砕け散った木々の残骸など確認することも出来なかった。
 一体何が起こったのかすら整理することも出来ず、ただ呆然と闇を見つめていた。
 白銀の男が立ち去った先を。

 騎士の頭上に生えた太い枝が揺れた。
 その枝は幹と接している根本を深く切り刻まれており、そして緩く吹いたそよ風にバランスを崩して――




041117 掲載

Copyright(C)2001-2005 by minister All Rights Reserved.