Zephyr Cradle

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●Novegle対応ページ ◎作者:大臣◎カテゴリ:FT◎状況:連載中◎長さ:長編◎あらすじ:帝国に占領されたグランス連邦の王子、クラウスとその仲間たちは祖国を解放するために準備を進めていた。だがその最中、祖母である先代王妃が帝国に捕らえられてしまい……。

LagrangeConcerto "Red Crown"


1. はじまりの建国祭(1)

 金属同士の擦れ合う音が、暗く狭い空間にいくつも響き渡る。両脇、天井には手の届く範囲に壁があり、視界も悪く、一行の先頭が明かりを灯していなければ自らの指先すら判別が出来ない。より多くの明かりを用いればそういった不安から逃れることが出来るのだろうが、それが諸刃の剣となり得るこの状況では、今は耐えるしかなかった。しかし不便はない。既に感覚も慣れてきていて、足を踏み外したり隊列を乱したりということは最早ない。
 一行は黙々と前進をしていく。大きな音を立てないように、だがゆっくりとした足取りではなく、むしろ急ぎ足といった方が正しい。ある程度の音は仕方がない。のろのろとしていて夜が明けてしまっては元も子もないのだ。
 ここまで来てはもう後には引き返せない。
 もとより引き返すつもりなどないのだ。何も恐れることなどない。今は作戦の成功だけを考えればよい。
 明かりが揺らぐ。気付けば空気の流れが生まれていた。明かりが揺らいだのは小さな一陣の風が一行の間を通り抜けたからだろう、ひんやりとした感触が一行の緊張を少しだけ緩め、そしてまた引き締める。風が感じられるということは目的地が近いということに他ならない。
 明かりがふと立ち止まった。一行もそれに倣ってぴたりと進行を止め、更に響いていた足音と金属の小さなチューニングを終える。先頭の指揮者が指揮棒を抜き放つと、それに合わせて十人の演奏者たちは腰に下げていた楽器を構える。
 その楽器たち──すなわち剣は反射する光もなく黒曜石のように見える。気付けば明かりは消え去っていて、辺りは完全な闇に包まれている。光という光は、一行の進行方向に小さく見える、天井から差す一条の青い光だけ。その月光はもうだいぶ近くに見えるが、この狭い地下通路の奥までは照らし出さない。楽器はその月光を少しも映し出しはしなかった。
「判ってると思うけれど、」
 明かりを任されていた先頭の人間が振り向き、小さいながらも力強く声を発した。あの月光の差す地点には聞こえないだろう、それならばまだ衛兵に見付かる心配もない。
「今あいつを助け出さなければこの国に未来はないわ。数日後の決戦に旗印であるあいつが居なければ、散り散りになった同志たちも戻っては来ない。この追い詰められた状況を打開するのには必要不可欠なの。……だから、それをしっかりと判ってこの作戦に挑んで」
 表情は読むことが出来ない。しかしその切迫した雰囲気は十二分に伝わって読み取ることが出来た。
「……失敗は許されないわよ」
 搾り出すように自分に言い聞かせるように、その女性はそう付け加えた。
 その場に居た全員が無言で頷き、剣を握る拳がぎゅっと締まる。駆け出す音が新たな楽章を紡ぎ始め、そして視界が開けた。
 頭上高く見える輝く光は──月。


***


 街は一年ぶりの祭で賑わいを見せていた。
 首都であるこのセントールの商店街も普段はやや寂れた風が吹いていて、道行く人たちも一様にどこか厳しい表情を浮かべていることが多いがそれもこの数日だけは特別である。
 建国記念祭。今年で五十一回目を数えるこの祭は、セイグルート帝国の豊穣と繁栄を祝い祈る儀式の一環であるのだがいつの頃からか完全にお祭へと転化してしまっていた。それには誰も不満を抱くこともなく、今では帝国の上層部もそれを推奨している。
 その祭の日は地域によって時期が少しずつずらされており、その期間だけにしか出回ることのない珍しい特産品──例えばこのセントールではサファイアパールの装飾品などが有名である──が他地域の商人や諸国放浪の旅をしている者たちのお目当てとなって街が何十倍何百倍もの人で溢れ返るのである。
 国をあげての一大イベントの一つであり、街や国にとっても大きな収入源となっていた。
 大通りには普段見られないほど数多くの露店が設置されており、他国の商人たちにはこの時期に売り込もうと考えている者も少なくない。相乗効果で客と商人が増え、人の流れはまさに足の踏み場もないほどの賑わいようである。
「このお祭だけはなくしたくないなと思ってるんだけど……そうもいかないよな」
 必死に波を掻き分けながら進む二人連れのうち、背が低くまだ少し幼さの残る顔をした青年がぼそりと呟いた。腰には帯刀をしているものの服装は地味で行き交う人々と大差なく、少し目を離せば見失ってしまいそうだった。
 だがそれでも彼を彼たらしめるのは目深に被ったフードから少しだけ覗いた緋色の髪。この国の人間の多くの者の頭髪は金から茶の色をしていることを見れば特異な色であるのは明らかである。
「これは帝国の建国祭であって、この国の建国祭じゃないからね……勿体無い」
 そんなため息混じりに語りかけるその声はすぐに祭の喧騒に掻き消された。
 青年の腕を引く手の持ち主は必死に目的地を目指して黙々と進んでいる。さっきまではこうやって呟いている青年の言葉にもしっかりと相槌を打って会話に付き合ってくれていたのだが、それもこの混雑した通りに差し掛かった辺りからは話を聞いているのかどうか判らない。相槌もなければ、そもそも声が届いているのかも判らなかった。
「ユウキ、まだその店には着かないのか? もう結構歩いたと思うけど」
 返事はない。やっぱり聞こえていないのだろうかと思い、仕方なく黙って引かれて行くことにした。
 街行く人々は活気溢れるこの通りで何を思っているのだろうかと青年は思いを馳せる。平生は人通りの少ないこの通りが活気付いたことで何を買うのだろうか。確かに普段よりも売られている品物のバリエーションはあるし、高価なものから安価なものまで幅広く揃っているので欲しいものを手に入れるには絶好のチャンスだと言えるのだろう。だけど、無いと生活に困るものはこの祭で買う必要などない。それは普段も買えるのだから。確かに安売りをしているところはあるからそこを目当てにしているのだとしても、明らかに人が多過ぎる。
 そんな疑問も一層強く引かれた腕に吹き飛ばされた。腕を引いていた背の高い若者──ユウキはにこやかに笑むと道を明けて隣に並ぶ。
「やっと着いたな。混んでるかと思ったがどうやらまだ空いているようだ。クラウス、ここが例の店だよ」
 緋色の髪の青年クラウスは見上げるようにその建物を見つめた。外見は普通の食事処と大して変わりのない装飾。店先にかけられた看板のような藍色の布には白い文字で何か書かれているが、クラウスには見たこともない文字だった。
「あの看板には何て書いてあるんだい?」
「看板じゃなくて暖簾(のれん)と言うんだ。あれは『迷亭(まよいてい)』と読むんだ。ちょっとした洒落が利かせてあっていいだろ」
「あはははっ。へー、そのまんまだなあ」
 ユウキが木製の戸の前に立つとクラウスもそれについてその前に立つ。近くで見ると明るい感じの色をした木だった。
「さてクラウス、この扉どうやって開けると思う?」
 言われて戸を見回すと、取っ手がない。引っ張れないのだから押して開くようにも見えたがそうではないだろうということくらいはすぐに判る。意地の悪いユウキのことだからきっと押しても開かないのだろう。
「押しても引いても開きそうにないね」
「そうだな」
「うーん……」
 そうやってクラウスが暫く唸っていると、腹の虫が高らかに声を張り上げた。少しだけ赤面してユウキを仰ぐと、口に手を当ててくつくつと笑っている。
「空腹は正直だな」
「う、うるさいな。そんなことより早く案内してくれよ。こんなところでクイズをやっていてもお腹は膨れないんだからさ」
 わかったわかったとクラウスの背中を軽く叩いてから戸のでっぱりに手をかけると、その手を横方向に勢いよく動かして戸を開けた。横方向だなんて判るわけがないじゃないかとどつこうと思っていたクラウスだったが、店の中から聞こえてくる「いらっしゃい!」という威勢のいい声のほうに驚かされてそんなことは忘れてしまった。
「こんにちは、親父さん」
「おう、兄ちゃんか。今日は祭で賑わってってけどお前さんくらいなら席が空いてるぜ」
 その声の主は今頃存在に気が付いたのか、ひょいと視線をクラウスの方へと向けて見つめる。
「っと、なんだ今日は連れが居ンのか」
 ユウキはクラウスを促すと、今お世話になっている家の主ですと彼を紹介した。クラウスはその親父さんと呼ばれた人物に笑顔で自己紹介すると礼儀正しい奴じゃねえかとフードの上からひとしきり頭を撫でた後に、自分はあまりそういう礼儀というものを持ち合わせてないけど勘弁してくれと詫びた。
 その親父さんが何だか可笑しくてクラウスはぷっと吹き出す。気さくな人だなとユウキの方を見ると満足したような笑みを浮かべていた。
 親父さんが案内してくれた席に座る。開けた窓際の席で、通りに歩く人たちの様子を眺めることが出来た。
「いい店だろ。飯も美味いんだけど何よりあの親父さんに会うとなんだかあちらを思い出してね。こうして良く足を運ぶんだ」
 店内は自然の木を基調としたデザインで彩られていた。今座っている椅子やテーブルも木製で、壁も天井も窓のフレームも全てが木で出来ている。この地域では建物といえば石造りが基本であるのでこういったデザインは特に珍しかった。狂ったかのように用いられている数々の木製デザインも、こうして中に入ってしまえば石造りの建物よりもよっぽど落ち着いた感じである。なんだか自然の中に居るような気分だと思った。
「うん、いい店だ。雰囲気も心地良いしね、ユウキが絶賛する理由も判った気がする。連れて来てもらって良かった」
 そう言うとユウキも微笑んで頷く。
「もちろん味も保証する。ここの蕎麦はこの国でも屈指の味だ。つゆの味は地方独特のだしを使っていて麺は毎朝打っている自家製の手打ち。何よりお奨めしたいのはこの大きな掻き揚げだな。バイラス湖でとれたばかりの貝、エビ、イカや新鮮なネギがたっぷりと盛られている。こんなにも美味い蕎麦はあちらでも食べれやしないさ」
「ユウキは本当にこの店が好きなんだな。そんな風に熱くなるユウキは初めて見たよ」
「そうか? 至っていつも通りだと思うが」
「普段は不味い食事でも食べられるだけマシじゃないかとか言ったりするのに珍しいよ、そんなに熱弁するなんてさ」
「それとこれは別問題ってやつだ、クラウス。それぞれ論点が違う。美味しいものを美味しいと言うことが悪いわけないだろう」
「相変わらず屁理屈だな、ユウキは」
「……うるさい」
 くすくすとクラウスは笑い、ユウキもそれにつられて笑む。クラウスとしては先ほどの仕返しのつもりだった。
 気付くと頭上に親父さんの顔があった。注文を訊いてきたのでユウキはすぐさま天そばというメニューを読み上げる。恐らくはそれが先ほど言っていたお奨めの食事だろうと思ったのでクラウスも同じものを注文した。
 清々しい秋の午後を時間がゆっくりと流れていた。
 こんなにも賑わっていて活気のある街が帝国に占領されているのだということには、クラウス自身も少しばかり信じることが出来なかった。

 蕎麦という食べ物を見たのも食べたのもこれが初めてだった。
 薄いスープに浸かったパスタのようなものだと聞いていて何だか不思議な食べ物なんだなとクラウスは思っていたが、実際に実物を見てみるとそれほど不思議なものでもなかった。甘いようないい匂いが食欲をそそって、麺の上に載ったフライが香ばしい。色合いは至って地味ではあったが、それでも匂いだけでパスタよりも美味しそうだなという印象だった。
 しかしそう容易くいただけるものではなく、初めて扱う箸という食器には苦戦を強いられることとなった。しっかりと扱わなければつるつると麺がこぼれてしまうし、時間が経てば経つほど上に載ったフライはふやけてきてしまう、フライを掴んでおこうと思っても上手く掴んでおかないと弾けるようにずるりと箸から落ちてしまう。
 クラウスがそんな苦戦をしている最中、ユウキは悠々と食事を楽しんでいた。こちらの文化とは違って音を立ててすするのがいいんだと教えてくれた通り、クラウスからしてみれば彼らしくもない豪快な音を立てて美味しそうに頬張っていく。たまに悪戦苦闘しているクラウスを見ては意地らしい笑みを投げかけてくるので、クラウスはむっとして見返してやろうと試みるがどうにも上手く扱えない。
 味は美味しかった。匂いから連想される予想に反せず、いやそれ以上にサクサク感とつるつる感と歯ごたえがある強い麺が絶妙にマッチしていて、普段では味わえない食感と美味しさ、そして文化を味わうことが出来たことにクラウスは苦戦を強いられたが満足していた。
「それにしても」
 店先で伸びをしながらクラウスは呟く。
「なんであんなに扱いづらい食器を使ってるんだい? フォークやスプーンでいいと思うんだけど」
 横に立って同じく伸びをしていたユウキはくすりと笑う。
「あちらの文化をそのまま味わってもらいたいからさ。俺も昔はパスタを箸で食べたりしてたけれど、やはりフォークで食べる方が美味しいと思う。そういう感覚と同じものだろう。まあ確かに箸は機能的に慣れないと扱いづらいな。大人でも正しく使えない奴がごろごろと居たものだよ」
「そんなもんなんだね」
「そんなもんだ」
 さてと呟くとどこへ向かうとなく、二人はゆっくりと通りを歩き出した。
 陽が傾き始めた中央通りは賑わいもやや収まり、足の踏み場がないというほどではなくなっている。人を避ければ駆けることが出来る程度になっていて露店商たちも手持ち無沙汰になるとパンを()んだりしていた。それでも賑わいの残り香は消えたわけではなく、時に人の波が押し寄せては去っていく。そんな祭の雰囲気はやはり惜しいだろうとクラウス思う。
「お前が立ったら、この建国祭はなくさなければ駄目だ」
 先ほどの話を聞いていてその返事なのかどうかは定かではないが、ユウキはそう呟いた。視線は道の先を見つめたまま。
 ユウキはこげ茶色のロングコートにサングラスというらしい色の入った眼鏡、そして黒い髪をうっすらと染め上げた金髪という柄の悪そうな格好をしていて、傍から見ればおかしな組み合わせだと思っているに違いないとクラウスは思う。それが嫌という訳ではない。むしろ彼のその外と内が不釣合いながらも頼れるところが自分の兄のような存在であるような気がしていた。
 彼は言葉を続ける。
「帝国を追い出した後に帝国の建国祭をやるだなんて話は、どう考えてみたっておかしな話だろう? 本末転倒だ。流石にそれを容認することは出来ないな。ただ、」
「ただ?」
 クラウスは足を止め、ユウキを見上げる形になる。それに気付いたユウキも足を止めた。
「代わりに新しい建国祭が生まれるだろう? それでいいじゃないか」
「あ、そっか。そうだよな」
「ああ。それに祭なんてものは適当な理由をくっつければなんだって開催出来るもんだろ。収穫祭だの星祭だの」
「それって全然ありがたみがないんじゃないか?」
 まあそうだけどなと不適に笑いながら言う。
「結局のところ祭──カーニバルやフェスティバルなんていうものは、街に大枚を落として国を潤してくれればそれでいいんじゃないか。あとは個々が楽しめれば文句はないだろう。最終的には飲んで歌って馬鹿騒ぎして……それが出来れば誰だって満足じゃないか」
「確かにそうだけどさ……まったく、いつもユウキは極論だね。もっと情緒とかそういうものはないのかい」
「クラウスの考えが緩すぎるんだ。もちろん悪くはないんだが将来国政を担う者としてはやはり少しはそういう部分も考えて欲しいな。お師匠さんにそういう部分を教わったりはしなかったのか?」
 師匠という言葉にクラウスはぴくりと身を強張らせた。
「……いや、あの人はそういう難しいことは言わない人だから」
「よし、じゃあ俺が教えてやる。物事の本質はきっちりと見極めること。そうでないと手段と目的を履き違えるようなことが起きるからな」
「努力するよ」
「……本当に判ってるのか?」
 クラウスはにこりと笑うと再び通りを歩き出した。
 普段はこのセントールの郊外にある森の中で、クラウスたちはひっそりと身を潜めて暮らしている。帝国にクラウスの存在が知られるわけにはいかないという理由からの措置であったが、その代償に街へ行く機会も制限されることになった。共に暮らしているユウキやエルミナは買い出しや政治交渉などで出かけることが何度かあるが、クラウス自身が出歩いて良い場合というのはごく限られている。こういった大きな催し物の際や、直接本人が出向かなければならない用向き、そういったことがなければ街に出るどころか外出すら許可されないことがあった。
 物心がついてから少しずつ街に出ることを許されるようにはなってきたものの、クラウスにとってはまだ街というのは憧れの場所である。街がどれだけ素敵な場所で、またどれだけ危険な場所であるのか十分に理解はしている。それでも自分の目で人々を見ておきたいという感情が常にクラウスの心にあった。
 だから出来る限り多くのものを見聞しておきたい。クラウスはいつもそう呟いていた。
「甘いかな、俺も」
 ユウキはぼそりとそう呟き、クラウスの元へと駆け寄る。

「甘いわよ、あんたは」
 クラウスの真横につくあと一歩手前というところでユウキは背後から肩を掴まれた。うおおっと間抜けな声を出しながらもどうにか体制を保つと、その声の主に向き直る。
 肩口まで伸びた茶髪を無造作に後ろでまとめて、今はクラウスと似たような街の人間と同じ服装をした少女と女性の中間くらいの人間がそこに立っていた。腰に帯びている剣を除けば、一見するとただの住人にしか見えないが二人には馴染みの深い人物であり、これでも衣食住を共にする仲間の一人である。
「なんだエルミナか、脅かすなよ」
 ユウキがやれやれと溜息をつくとその女性、エルミナは表情を強張らせた。
「なんだ、じゃないわよなんだじゃ! 探したのよ! 勝手にクラウスを連れ出さないでってあれほど言っておいたのにまだ懲りてないのね、ユウキ。この時期、商人なんかに紛れて大陸から帝国の兵が視察に来たり、他国からのスパイの監視があったりするから兵の数が多いのよ? それなのにクラウスを街に連れ出すだなんて──」
 まくし立てるように一気に怒鳴るが、それに気が付いたクラウスはほんの少しだけ申し訳なさそうな表情をする。
「あの、エルさ。今回は俺がユウキに頼んで街を案内してもらったんだよ。だから怒鳴るなら俺を……」
「クラウスは黙ってて」
「あ、はい」
 エルミナはクラウスを一言と一瞥で一蹴すると、再びユウキに向き直る。
「ユウキが言いくるめて連れ出したとしてもクラウスが自分から頼んだとしても、どちらにせよ今は大切な時期なんだから外には絶対に出すなって言っておいたでしょう? クラウスはユウキに懐いてるからお守りを任せてたっていうのにこれじゃ逆効果じゃない。いい、クラウスは──」
 今にも噛み付いてきそうなエルミナを前にして、ユウキはちらりと周囲に視線を巡らせる。三人の口喧嘩に微笑ましいものを感じているのが大勢で、くすくすと笑いながら通り過ぎていく者が多い。それを確認してから、まだぎゃあぎゃあと火を噴いている火山の火口をユウキはさっと手で覆った。
「な、なにす」
「判ったから少し黙ってくれ。エルミナの言いたい事は判ったから、それ以上帝国が何だのクラウスが何だのと騒がれると後々厄介なことになりかねないぞ」
 ユウキはエルミナの耳元に小声で呟くと、エルミナははっとしたように声を殺す。
「あ……」
「勝手に外に出したのは謝る。だからこれ以上は騒がないでくれ。頼む」
 そう言いながらユウキはそっと手を離した。エルミナは恥ずかしそうに顔を俯かせ、少しだけ頬を染めているように見えた。
「ごめん、エル」
 クラウスが頭を下げるとエルミナはにこりと微笑んだ。
「判ってくれればそれでいいわよ。それに私こそ、こんな街中で騒いじゃって……」
「まったくだ」
「……あんたは一言多いのよ。大体ユウキはね──」
「あー、もう判ったって言ったろ」
 その様子を見ていたクラウスは腹を抱えて笑っている。それにつられてユウキも忍び笑いを見せ、エルミナも呆れるような表情を見せながらもやっぱり笑っていた。

 こういうことがあるから二人には祭に出て欲しかったのだと、ユウキは思う。ぴりぴりと緊張してばかりでは出来る事も出来なくなる。この二人は大事な役を担っているのだからこそ、緊張をほぐしてしっかりと作戦に臨んで欲しい。人員が足りない上に指揮系統もまだ判然としない今、特にクラウスには気持ちの良い出陣をしてほしいと願っている。
 図らずもエルミナにも見付かってしまったが、こう笑いあって緊張の糸が緩むというのであればいくらでも嫌われ役を買って勤める覚悟だった。
 ──これなら一週間後の作戦は大丈夫だ。
 ユウキはそう認識する。

 だがその認識も、すぐさま叩き割られることとなった。



 陽が更に傾き空が赤く染まり始める頃、通りに行き交う人々の足取りは妙にせわしなくなった。歩は速く、何かを目指して歩いているようにも見受けられた。
「何かあったのかな」
 クラウスが頭上に疑問符を浮かべながら悠長に構えている中、ユウキとエルミナはその人々が向かう先を見つめていた。
「……中央公園か」
 ユウキがエルミナの方に目配せをすると彼女は小さく頷く。どうやら同じことを察したのだろう。
「行ってみよう。クラウスは私たちから離れないで」
「判ってる」
 三人が立っていた場所から中央公園はそう遠くない。
 街の中心部に位置するその中央公園には噴水と芝生が設けられており、人々にとっては憩いの場として日々親しまれている。建国祭の今日でもその例に違わず、公園を通りかかった時には楽しそうに人々がはしゃぎ、まばらに散っている露店商などで賑わっていたということをクラウスは覚えている。
 公園の方へ駆け行く人々は皆疑惑と困惑の入り混じったような目をしていた。どうしていいのか判らない、でもまずはこの目で確かめに行こうといったある種、野次馬のような印象である。
 誰かが暴れているからそれを見に行こうというような感じではない。何か大きな大道芸が行われているからという雰囲気でもない。皆目検討がつかなかった。
 だがその野次馬たちが話している内容の端々はクラウスの耳に否応なしに飛び込んでくる。王妃だとか王子だとか、そんな言葉が聞こえてきた時には、既に全力で駆け出していた。
「クラウス!」
 ユウキが背後から呼び止める声が聞こえたが、クラウスはそれを無視して我先にと公園へと向かっていた。
 その言葉から不安は募るばかりで、また周囲に人の影が増えてくると聞こえる会話もより鮮明になってくる。そこから読み取れる内容は、最早疑う余地のないものとなっていた。
 中央公園には多くの人で溢れかえっていた。黒山の人だかりとはまさにこのことだろうとクラウスも認識する。黄昏に染まり始めた街の中心部、この中央公園に大勢の人が集まることはまず滅多にないのだと、先ほどエルミナが言っていた。それほどまでに人々の注目を集める何かがこの輪の中心にある。
 少し掘り下げた円形の中心部に噴水が設けられている。斜面には芝生と石畳が敷かれており、円の端からもその中心で何が行われているかは良く見て取ることが出来た。
「あれは……!」
 息を切らせながら追いついてきたユウキは驚いた表情を見せ、エルミナは口を押さえて絶句している。
 中心部には十数人の帝国軍兵士が居て、その中に一人、温厚そうな雰囲気を漂わせた老齢の女性が混じっていた。
 見間違えるはずもない、あの人物は──
「お祖母(ばあ)様! なんであんなところに!」
 クラウスの祖母であるレナ。彼女は今、ここに居るはずのない人物であった。レナは郊外の屋敷に篭って三人の帰りを待っているはずなのだから。
「俺たちが街に出ている間に屋敷を襲ったのか、それともレナ様が一人で街に出られたのか……何にせよ捕らえられたという事実だけは確かだな」
 レナは後ろ手に両手を縛られていて、兵士がその顔に向けて真っ直ぐ剣を構えていた。この距離からでは表情を読むことは出来ないが、相変わらずの落ち着いた様子であることはクラウスでも判った。怪我をしているような気配もない。抵抗するなどという言葉は彼女の辞書にはないのだろうと、クラウスは小さく安堵の溜息をつく。
「どうすれば……」
「ねえ、あいつ何か言ってるわよ」
 クラウスもエルミナと同時にそれに気が付いた。一人の男──恐らくはそれなりの地位の者だろう、綺麗に整った帝国軍の服装をしている──が声を張り上げて何かを宣言しているようである。距離が少し遠いためはっきりとは聞こえてこないが、大体何を言っているのかは理解が出来た。
 が、その内容は最悪である。
「『先の大戦に際して逃げ延びていた先代の王妃レナ殿をついに保護することが出来た。彼女が国を失った気持ちは、私にも察して余るところがある。今この国の平和もレナ殿にとっては得心のいかぬ偽りのものではあろうが、我々に牙を剥くような真似はせずに隠遁生活を送っているということである。故に我々はレナ殿を保護し安全な生活を提供したいと考えている。
 だが、レナ殿の孫である現王子クラウス殿はそうではないと聞く。この安寧な平和な世を乱すがごとく我々に牙を剥く準備を着々と進めているのだという情報が、私の耳にも聞こえている。グランス島の全権を委任されているこの私シェルグ・ディミヌは、これを見逃すことは出来ない。クラウス殿がその気であるならば、不本意ながら我々もそれ相応の対応を辞さないだろう。もしこの言葉がクラウス殿に伝わるのであれば、その意味をしかと理解して行動欲しい。
 期限は三日、その間に答えを出していただきたい。当然ながらここにおられる皆様にも正しい判断と行動をお願い申し上げる』」
 ユウキはクラウスの真横に立ち、シェルグという男の言葉を復唱した。
「偉そうに……何が保護しただ。人質として捕らえたの間違いだろうが。三日の猶予というのも、その間に何かアクションを起こさなければレナ様を殺すという脅しだろう。……先手を打たれたか、クソッ」
 ユウキは毒づくが、そんなことを言っていても何も始まらないということは誰よりも、彼自身が判っているであろうことだった。クラウスはそれについて何か言うことは出来ない。今まで緻密に綿密に組み立ててきたパズルを、崩すだけでなくピースから壊された人間にかける言葉など見つからなかった。
「……ユウキ、ひとまず屋敷に戻って作戦を練り直すのが先決だと思うけれど」
 エルミナが搾り出すように声を出す。母性に満ちたレナに惹かれて、彼女を最も慕っていたのは他でもないエルミナである。この場で駆けて行きたい感情をぐっと押し留めているということが、クラウスにも見て取ることが出来た。
「判ってる。今ここでレナ様を救い出すのは、不可能ではないだろうが得策ではないな。三日以内に決行を再調整しなければならない。他の者たちを動かせるかどうか……ああ、頭が痛くなってきた」
 クラウスはフードを少しだけ深く被る。この髪の色はこの国の王子を証明する手がかりの一つであるために、今ここでそれを知られるわけにはいかない。
 本音を言えば、クラウスは今すぐにでも飛び出してレナを助け出したいと思っていた。だが、それでは大儀を為し得ないのだ。だからここは踏み留まらなければならない。
 他の多く、志を同じくした者たちの意志を無駄にしないためにも。
「お祖母様……少しだけ待っていて下さい」
 ユウキとエルミナは既に足を円の外へと向けている。
 クラウスは一人、その中心に居る唯一の肉親にもう一度視線を送る。その人はクラウスが最も親しき人間であり、そして一番大好きなひと。彼女が居なければ今ここにこうして立っていることすらなかっただろう。
「必ず助け出します。そして、絶対に成し遂げてみせます」
 見える祖母の姿は小さい。だがその顔はクラウスに笑顔を見せているような気がした。




041110 掲載

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